名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・寝起きに異変 /傘かしげ /与作と舟唄 /空飛ぶミラー /雑談メモ /お台場 /防災について

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 土曜。朝、目覚めてキッチンへいくと、目がくらくらして、歩みがおぼつかない。頭から足へとサーっと血の気が引き、顔は氷水をあびせられたように冷たくなってヒンヤリしている感じ。ここ数日、こんなふう。原因はわからない。

 土曜午前中。しとしと雨、買物。 信号のない道の手前に佇み、走りくる車のとぎれるのを待っていると、車道は青信号なのに白い車がなぜかぴたりと停まっている。運転手のひとの顔をみるとわたしに微笑みかけている。お先にどうぞ、と譲ってくれているのらしい。わたしもにっこりと笑顔で応えて、深くお辞儀しながら小走りで道を渡る。
 スーパーにて。 かごに入れたのは。黒豆たっぷり丸大豆せんべい、かつおたくあん、キムチ、ザーサイ、ひとくち高野豆腐、ぶなしめじどん兵衛きつねうどん、超熟食パン10枚切り、有料レジ袋Lサイズ。
 それから、焼きたての、つくねを6本。軟骨のかけらがはいっているの。こりこりして美味しいの。
 帰りみち。小さな路で人とすれちがうときは傘をかたむけて。水たまりを踏まないように、いつもより小股でちょこちょこ。すその後ろを跳ね上げないように、かかとを残してしずしずと歩いた。どうにか小さなミッションをとげられそう。
 日曜はどうしよう。 あっ。カ行の五段活用ならどうでしょう。行かない、行きます、行く、行け、行こう。 行けるかな どうかな。
 ふと頭にうかび、八代亜紀の舟唄を口ずさんでみる。小さく歌う。ひとことひとこと、たしかめるようにていねいに。

 

 きのう。シャワーを浴びる前に、ふとキッチンの排水口が気になり、ゴム手袋を装着して歯ブラシをもちいて排水口をきれいにした。 何かにそなえて。水回りは衛生的にしておかないと。

 お掃除の記憶。昔は週に2~3回していた。まず、ハタキをかけてほこりをはらい、掃除機ですみからすみまで吸い込んでゆく。それから、お掃除用のタオルを水に濡らして固くしぼったもので、あちこち拭きそうじ。
 テレビの上には、友人の父がさいごに乗っていた車のステアリング(ハンドル)。あれはビスタ。そこを拭くときは、そおっと丁寧に、細心の注意をもって。おとうさん、お元気ですか、いま綺麗にしますからね……と胸中で語りかけながら磨く。だってそれは、おとうさんの形見だもの。
 掃除でハタキをかけるときに、友人のつくったプラモデルのフェラーリのミラーがどこかに飛んでいったり、カタナ(バイク)のミラーがぽろっと外れたりして。あぁいけない、とあわてて、バイクのミラーをアロンアルファでくっつけておいたけれど。帰宅した友人がすぐに気付いて「こわしてしもた?」 どうしてわかったの?と訊いたら、「ミラーが反対のほう、あっち向いとるから。」と大笑いしてゆるしてくれた。ごめんなさい。


 友人との雑談、メモ。ちょっとまえと、このまえの。
マツコはおしゃれ。お洋服とアイシャドウの色をさりげなく合わせている。 イヤリングをつけるときはネックレスをつけない、ネックレスのあるときはイヤリングをしない、その絶妙なバランスに感嘆。 あのアイラインも素敵 /ああいうアイライン、ほんとは好きなんだけど 「きつく感じてしまうねんなぁ。」「そうなのよ、だから、がまんしてるの」 /友人の車内スピーカーの低音がいいらしい /車内のどこから音がでるの /日本車の車内のちょっとした使いやすさとエンジン性能などは、世界一 /ホンダのlgrt オーナーが週末に集まってミーティング。あの車の進化 /お台場、さいごに行ったのは1998年ごろ。妹とわたしたちと4人で。友人の同僚さんをお誘いしたら「これってダブルデート?! いいですねぇ☆」と嬉しそうにしていた /友人が友人の妹にねだられた2メートルもある犬のぬいぐるみ。店員さんに「すんません、あのこれ、売り物ですか?」、友人の同僚F「ぬいぐるみに何万もなんて、ありえないっス!(笑)」 /ダイバーシティができたの?あの草ぼうぼうの空き地に?
/引っ越しのとき、友人の大切なトラックのプラモデルを箱にしまおうと、わたしがぐいぐい押しこんだら首が(キャビン=運転席と荷台との連結部分)ポキッと折れ、友人の同僚Fちゃんが「あー!〇〇ちゃん、壊したぁ!」と大笑いして、わたしは真っ赤になって「ごめんなさい、ごめんなさい……」とプラモデルに謝った。
/さいきん友人はどんな缶コーヒーを /ジッポの音も、高価いものと安物とでちがう。デュポンのライターは独特のいい音 /ジッポの耐久性、手入れすれば一生つかえる /ジッポは船上でもアウトドアでもどんなに強風のなかでも、点火する
/災害時、友人の仕事場の安全度は /職場の備えは /わたしの実家の母と妹を見にいってあげて。「実家のドアは押すんか?引くのか?」「引くタイプよ」→ピンポン鳴らしても母は応答しないから、玄関ドアをけやぶって入ってちょうだい。母はきっとタンスの下敷きになってるから助けてあげてね。「引くタイプのドアやと、け破れへんで」→「じゃあドアの付け根の蝶番(ちょうつがい)をはずすとか」「あかんねん、ドアの蝶番のネジは内側にあるねん」→「バールは?」「いけるな。でも、バールなんか車に積んでないで」→「じゃあ買いましょう」 とにかく何でもいいから、母と妹を救出してください、お願いします。
南海トラフ津波は、わずか2分で到達する /津波のとき、どこへ逃げたら /非常時にそなえてわたしのガラケースマホへ(検討中) /防災について /その他。

 昨夜。夜になっても、おちつかない。 そうだ。与作でも聴こう。

 

 

 

 

 

 

・南海トラフ /ナイフを垂直に /すもう、秋場所 /他愛ない話とは /ジッポだけ /ハワイアン風味すもうソング /シチュウをご飯にかける派?かけない派?/高速道路グルメ

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 昨夜。NHKスペシャル MEGAQUAKE「南海トラフ巨大地震 /迫りくる【Xデー】 /そのときに備えて」。 (以下、その番組からの書き起こし) 南海トラフとは、東海から九州にかけて。 マグニチュード9、震度7、10メートルの津波が襲いかかるという。想定される死者、32万人。 「高知県黒潮町では、最大34メートルの津波が予想されます。」 「地域によっては、地震発生からわずか2分で津波が到達するかもしれない。」 「現代の日本は経験したことのない巨大災害です。」 「専門家によると、東日本大震災の2ヶ月前から、震源近くの海底で、まるで前兆のようなスロースリップが起きていたのです。」
 その可能性が高まっているとの説があるらしい。海上保安庁の測量船が、南海トラフ海上で、前兆がないかどうか監視を続けてくれているという。
 これはわたしの推測だけど。気象庁と、地震学会は、そういった地震の予知ができたとしても、それを公に発表はしないだろう。「大地震が起こる」などといったら日本国民のパニックが予想されるから。
 有事にそなえて、「いまいちど避難経路の確認と、心の準備をしておくことが大切。」 命を守ることを第一に。有事のときは外出先では、無理な移動をせず、すこしでも安全なところで過ごして、体力を温存したい。 もしもそのような災害が起きたら。わたしなどきっとどうしようもない。

 

 このごろ。ちょっとしたことが気になる。 ペンやカッターナイフを、じぶんに垂直に置いてみたり。 お箸を置くときは。お箸の先をこちらへむけて、箸先の片方を一歩ひいて不揃いなハの字になるよう、慎重にする。じぶんのことをかえりみないで、こんなところに美を追求してるのだろうか。 ただ、そうしておかないと気がすまくて。
 ふと気づいて、書き散らしたメモの紙を、地震のときはあちこちに散乱するかもしれないと想像して、何枚かのメモを洗濯ばさみではさんでおく。

 ときおり。じぶんが自分でいることがつらくなる。緑のあるところへいくと、なんでもない何かになったりしていた。 昔。(会社の研修)お寺で座禅をくんでも、瞑想してみても(ためしに10分間だけ)、煩悩が頭から消えなくて。無にはなれなかった。

 お相撲の中継を、さいきんはうわのそらで見たり見なかったり。 このまえは高野豆腐をつまむあいだに、白鵬の取組みを見逃してしまった。
 好きな行司さんはキムラコウノスケ。
 好きな力士は、白鵬、遠藤、あと、昨年まで弓取式(ゆみとりしき)をしていた聡ノ富士(さとのふじ)。 注目している力士は阿炎(あび)、思う存分やってほしい。気になる力士は、竜電(りゅうでん)、照強(てるつよし)。 読みかたに驚いた力士は天空海(あくあ)。
 照強は(てるつよし)、昨年に日馬富士(はるまふじ)と豪栄道の優勝決定戦の直前に、支度部屋で、日馬富士が同じ伊勢ケ浜部屋の後輩である照強を相手に、低い体勢からの立ち合いの練習をしていて。
 日馬富士豪栄道に圧勝した。優勝インタビューで「照強を選んだ理由は?」と訊かれると、日馬富士は「てるつよしを、テレビに出してやろうとおもって。(^▽^*)」と照れ笑いしながら応えていた。
 日馬富士は、引退してしまったけれど。わたしの中では永遠に横綱

 

 ダウンタウン浜ちゃんと濱田岳のドラマ。なんだっけ、タイトルがでてこない。ちょっと検索してみると。
「『ひとりぼっちの君に』(ひとりぼっちのきみに)は、1998年7月2日から9月17日までTBS系列で放送されたテレビドラマ 」
「概要: 浜田雅功ダウンタウン)が『人生は上々だ』『竜馬におまかせ!』以来約2年ぶりにドラマの主演を務めた。万引きを繰り返す生意気な少年を演じる濱田岳(当時10歳)にとっては、このドラマがデビュー作である。このドラマの映像ソフト化はなされていない。」

 

 先日の、友人との他愛ない話とは。
 濱田岳の台所用洗剤マジカのCM /濱田岳の子役時代(濱田岳は親から育児放棄された少年の役で、ダウンタウン浜ちゃんが、「オマエ、どこまでついてくるねん?」と、うっとおしがりながらも、その少年をほうっておけなくて、親がわりになるというドラマ) /仮面ライダーシリーズ /チビノリダー伊藤淳史、ドラマ「電車男」 /川口浩探検隊 /9.11、あのときは /日本の防衛は /もし日本にミサイルが飛んできてもアメリカは、はじめの一発は黙ってみていて、日本の国土がやられてから「おまえ、なんてことするんだ。」とアメリカ軍は北朝鮮を総攻撃するだろう、きっと。 北朝鮮をつぶすには、国連や世界中の国々も認めるだけの理由が要ると思う。「さきに手を出したほうが悪い」みたいな。 /北朝鮮金正恩?のヘアースタイル、刈り上げ具合が面白くて。 ほんで、メガネのつるがこめかみに食い込んでるねん /
 /防災用に、メガネをもうひとつ /視力どのくらい? /パチンコは、お店や機種との相性 /セコム君との思い出 /重機の操作は /フォークリフトの達人 /ドライバーあれこれ /薬局のプロフェッショナルな店員さん /たばこデビューは /氷点下20度でも点火できるのはジッポだけ。100円ライターはつかなくなる /BICライターの予備をお願い /南海トラフが起きたら。10メートルの津波 /つづきはまた。おひらき。

 このまえの話題。
 カラオケにM-バンドの曲がない /尾崎豊は、盗んだバイクで走りだしていたの? →あれは歌だけや。 /尾崎豊がもしも「一日警察署長」になったりするのは何か違う /尾崎豊は窓ガラスを壊し続けないといけないのよ
/チャット時代の思い出 /自殺をするときは、本人はそのつもりではないのに、吸い込まれるのらしい /おにぎりあれこれ /安かったスーパー /母が、失敗したバッグや靴を「あんたいらない?これ使いにくいから、あげるわよう」と押しつけてくる。 わたしはごみ箱か。まぁいいけど。 母は、もう使えないけれど、かといって、捨てることもできないのだろう。 /ダイシン百貨店の食堂のウィンドウのなかの食品サンプルの大盛りナポリタンがうまそうやった /あのときはカツ丼食べてたね /
/内孫は可愛い。 外孫はそれなりに可愛い /喫茶店でお互いに話が盛り上がっているカップルは夫婦ではないらしい /夫婦①→、奥さんだけがしゃべり続けて旦那さんがテキトーに聞いていたり聞いていなかったり。 夫婦②→、語らなくてももう大丈夫。お互い無言で何時間もいられる
/寂しがる父 /わたしの風邪のとき、あなた張り切っちゃってた /彩花の(さいか)ラーメンって? /大阪の御堂筋の違法駐車 /つづけてカレー、大丈夫 /シチュウをご飯にかける派?かけない派? /シチュウには、パンやな。 /キッチンの蛍光灯、15ワットの、スタータ形。LEDはつかない /高速道路の、亀山パーキングのカツ丼が美味い /談合坂のサービスエリアのすた丼は(スタミナ丼)美味い。 /次回につづく。?


 夜。夜になると不安におそわれるので、しばらく前までは、7時とか8時には入眠の薬を服用して就寝していた。
 このごろは気付くと夜更けになっている。 昨夜2時。そろそろみずからに薬をゆるそう。薬を飲む前にきつねうどん。きのうもきょうもしょっぱく感じる。 さいごに一服。心をしずめようと、ふと頭に浮かんだ由紀さおりの「ルームライト」を口ずさむ。「♪あの薬屋の角を 左に曲がると……」のところがすき。 これで眠れそうかな。おやすみなさい。

 「Tengoku Kara Kaminari(天国からカミナリ)」 むかしJ-WAVEラジオでよく流れていた。このリズムは、レゲエかな? ハワイアン風味の、すもうソング。 「♪あーけぼの、むさしまる、and こにしきー、♪」と歌うのがいい。たのしい気分で口ずさめる。
 ジョアン・ジルベルト「フェリシダージ」 デリケートな、ささやくような歌いかた。中盤より、観客席のほうから静かな合唱がはじまり、それはしだいにはっきりと大きな合唱となっていく。カメラが観客席の人を映すと、真っ黒なメガネの盲人らしき黒人の人、そのななめ後ろにインド系の男性、右手前に白人の金髪の初老のご婦人、その人たちが口を動かして歌を口ずさむ。人種や立場や年齢に関係なく、観客席のみんなが、ひとつになっている。
 みんなの合唱に気付いたジョアンは歌うのをやめて、みずからは観客の大合唱に寄り添うかのように黙ってギターをつま弾いたり、観客たちの歌声をサポートするかのように「♪トゥルルル、ル、……」とハミング(スキャット?)しはじめる。ステージと客席と、その空間すべてが、ひとつになっているのを感じた。

 金正恩ってどんなだっけ、と画像検索してみたら。 オバマさんまで刈り上げ。なにこれどうしよう。金正恩の目からビーム。

 

 

 

 

 

 

・夜明けに咲けと /らせん階段 /泥の川①、② /ピカ子さんのラジオ /「船を建てる」さきに叫んでおく。杏の木の下で /ルパン三世「ラヴ・スコール」

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  毎週木曜。お昼の1~4時。ラジコでベイFM「it」というラジオ番組を聞くようになった。ナビゲーターはメイクアップ・アーティストのピカ子さん、うさみす さん。
楽しいおしゃべりのあいまに、すてきな曲がかかったり。

 もえるごみをごみ集積所へ。ちょうちょがわたしの周りをふらふら、ひらひら、酔っ払いのように飛ぶ。蝶は酔っている、いつも。 道端にハゼラン。線香花火のような草姿。

 ふつうがない。 そういえばクリーミィマミの歌に「♪男の子とちがう 女の子って 好きとキライだけで普通がないの でも好きになったら いくつかの魔法をみせるわ ほんとうよ……」
 うる星やつらは。「♪あんまりソワソワしないで あなたはいつでもキョロキョロ (中略)星たちが輝く夜更け 夢みるの あなたのすべて 愛してもあなたはしらんぷりで 今ごろは誰かに夢中 あぁ、男の人っていくつも愛をもっているのね あぁ、あちこちにばらまいて わたしを悩ませるわ 」
 あぁ、ルパン三世の不二子「ラヴ・スコール」 「♪ラヴ・スコール イッツ・マイラヴ もう逃がさないわ 予告もなくつかまえるの この愛のスコールで だけどあなたのこころは風 いつのまにか すりぬける (中略)♪グッドナイト マイダーリン そばにいてほしいの ふたりだけの夢をみましょ……」

 

 よみがえる。鈴木志保「船を建てる」
 さきに叫んでおく。 「キャアーーー。」「どうしました?」「弟が落ちました。」「どうして?」「わたしが突き落としました。」「だいじょうぶですか?!」「だいじょうぶです。 さきに叫んでおきましたから。」
 あれ。不思議の国のアリスか「鏡の国のアリス」。たしか、アリスが女王様に挨拶したらとつぜん女王様が「キャーーー。」と悲鳴をあげて、アリスがびっくりして「どうなさいました?」、すると女王様は「(ドレスのすそにつまづいて、転んでしまう)それが起こるまえに、あらかじめびっくりして叫んでおいたのじゃ。」 アリスは冷静に思いました。「順番がちがうんじゃなくって?」
 「船を建てる」を読むときは、ジプシー・キングス「ジョビ・ジョバ」を聴きながら。よりいっそうせつなくて、心に届く。 物語に登場する主人公たちは、旅をしている。どこまでもさまよっている。
 「杏の木の下で」には、「蘇州夜曲」を合わせる。
 北京へとむかう蒸気機関車のなか、猿回しと猿に、パンクヘアのおじいちゃんが背中におんぶしたおばあちゃんを紹介する。「家内です。」「おー、それはそれは。はじめまして。」 おじいちゃんは背中のおばあちゃんをみせながら応える。「(家内は)死んでます。」
 おじいちゃんとおばあちゃんは若かりしころ、杏の木の下で出会った。 「おじいさん。おぼえていますか、あの海の絵のついてるレコード。」「わすれるはずはありません。おぼえていますよ。」「杏の木の下で踊りましたねぇ」「そうですねぇ。」 「おじいさん、いつか、連れていってくださいね。あの海へ。」「はい。わかりました。」「約束ですよ。」「約束です。」
(中略)おばあさんが食卓いっぱいに、あふれるほどにご飯を並べる。「おばあさん、こんなに食べられませんよ」「あぁ、ごめんなさいねぇ」 おばあさんがおじいさんに雪だるまのように何枚もの上着をかさね着させる。「おばあさん、こんなに着せられなくてもだいじょうぶですよ」 /「おばあさん、どうしました。」「おじいさんのことが心配でねぇ。お腹がすいてないか、寒くないかって……」「お腹はすいていませんし、とても暖かいですよ。」「そうですか。」「はい。だいじょうぶですよ。」「あぁよかった。おじいさんのことが心配で心配で……。」 「おじいさん。ほんのすこしだけ眠ってもいいですかねぇ。」「いいですよ。おやすみなさい。」 /「おばあさん、おばあさん。起きてください。」「おばあさん?……、」「そうですか。死んでいるのですね。わかりました。」 杏の木の下で。おばあさんは天に召されてしまう。

 

 

 

 


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・夜明けに咲けと (2018.9.10)

 

人知れず
夜露にぬれて 真夜中のつぼみ

誰もみていない
つぼみはしゅるしゅるとほどけ

小さな叫びをともなって
予感にふるえる

事態は先行してわたしのうでをつかむ
名前をよばれ ゆっくりと立ちあがり

いま 気高く咲く
いいえ、誰もみてはなりません

そう けっして 誰も

 

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* "Bloom at dawn." (2018.9.10).


Secret
The bud which gets wet with night dew, and is midnight

No one is seeing.
Untie a bud with SHURU SHURU.

With a small cry.
I tremble with feeling.

A situation precedes and grasps my arm.
You call the name, slowly, standing

It blooms nobly now.
No, no one is supposed to see.

So never No one.

 

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・らせん階段 (2018.9.10)

 

さて
運命的な夜のショウのはじまり

どちらさまも
正装していらっしゃい

一曲めは ダンサブルに
ステップは自由

音の世界に包まれたなら
オトナの階段を少々

準備はよろしくって?
あなたの歩みに合わせましょう

つぎの曲で新しいステップ
いま わたしたちは 音楽の子供

あなたの手をとって らせん階段をのぼりましょう
いま ぼくらは音楽の子供

 

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* Spiral staircase (2018.9.10)


Now
Starting of a show at fateful night

Who?
Be in formal attire.

A song of ME is danceable.
The step is free.

If it was wrapped in the world of sound.
Adult stairs, a little.

Preparations?
I'll add to your pace.

The step new by the next song
Now We Musical child?

I'll take your hand and go up a spiral staircase.
Now We're a musical child.

 

 

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・泥の川 (2005. )※再掲。


ほんの少し
わがままを言えるようになって

何か違う気もして
ぼんやりと見えない


ほんの少し
打ち明けて

どうしてか汚れる気もして
うっすらと悲しい


また少し
近づいて

どこか脆くなる気もして
ふんわりとなれない


むこうへ渡りたいのに
そこで微笑みたいのに

どのわたしがさえぎっているの

 

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* River of mud (2005.)※ saikei.


Just little.
After you can say now selfishness.

Please also think something is different.
It isn't seen absentmindedly.


Just little.
Please confess.

Please also think why it's becomes dirty.
I'm sad dimly.


It's little.
Please come up.

Please also think somewhere becomes fragile.
It can't be the muck percentage.


I'd like to migrate to the other side.
So I'd like to smile.

Which I interrupt?

 

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・泥の川 ② (2018.9.10~9.11)

 

軽口をたたきあって
お互いをほめたたえる日々

うちあけて
たしかめあうひととき

心は果てしなく飛翔して
ゆるしあう このとき

うちとけて
いま かたい握手を交わそう

約束なんていらない
ただ ふたり この夜をこえる

 

 

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* River of mud(2) (2018.9.10-9.11)


Please hit a pleasant joke each other.
Every day when mutual is praised

Please confess.
Some time confirmed each other

After a heart takes a flight interminably.
This explanation permitted each other

Please open up.
I'll exchange a handclasp now.

I don't need an appointment.
Two people exceed this night freely.

 

 

 

 

・生と死の境界は /ホームページ作りの思い出。きっかけは /ダイヤルアップ接続音 /テレホ /セコム君 /他愛もない話

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 画像は。催事のところで出会ったポーチ。大きさがあり、これならアイライナーとか眉ペンとかおしろいのコンパクトも入りそう。 2~5時間の外出はお化粧道具を持ち歩かないけれど。いつか、なにかのときに使いたい。中身は……秘密。女はヒミツでできてるの。

 2006.8.13より。「 母のことを書かないといけないのだけど。なぜか気重(きおも)で、メモを見る気にもなれない。(※母は、7.14に全身麻酔の手術をした)
 ふと見ると、左手の人差し指のつめが珍しくすてきな感じに伸びていた。他の指はともかく人差し指のつめはなかなか思う通りの形にならないから嬉しい。 こまめに削り、(長さとか形状的に)いつでもマニキュアが塗れる状態なのだけど、ときどき、塗ろうかなと思うと爪(先端じゃなくてお肉にくっついている部分)がなんだかとてもきれいな色にみえて、もったいなくなり、けっきょく塗らない。
 夜。弱っていた一匹のメダカが水草水草の間に入ったまま動けない。体色は肌色から白に変わり、それはメダカにとって死を意味する色だけれど、ときおりエラと尾びれが動くのでまだ生きているとわかる。 お腹も背中も水草の大きな葉に包まれながら、普段とは違うまなざしでわたしを見ている。
 どのメダカも、弱ると皆から離れて水流のゆるやかなこちらに寄ってきて、すがるような、何かを問うような、なんともいえない目をしてわたしを見る。今まではその目に戸惑い、うろたえ、まっすぐに見ることができなかった。(昨年の麦=子猫もうちに来てまもない頃にそんな目をしたことがあり、ドキリとした) 最近ようやく、きちんと見つめ返すことができるようになった。 今夜のメダカを眺めながら、これは幸せな死に方かもしれないと思う。水流にあおられることもなく、他のメダカに追い立てられることもなく、青々とした水草にしっかりと抱かれて。お日様に温められながら死ぬことの次くらいに幸せなかたちかもしれない。 といっても、わたしがそう思うだけで、このメダカ本人(本魚)がどう感じているかはわからない。
 水草に抱かれて動けないメダカのすぐ横で、元気なメダカが水草や小石をせっせとつついている。さっきの餌では足りないというように、銀色のお腹をきらきらと光らせて、つついている。死にゆく者のすぐ隣で、生の意味も問わず生きるために生きている者。その奇妙なような自然なような光景に、つい思う。生と死の境界について、どちらが先なのかについて(生のなかに死があるのか、死のなかに生があるのか)、その他いろいろ。 でも今夜は思うだけ。考えるまではしない。ふたたびぼんやりとメダカを眺める。 」


 9.3(月曜)の日記に登場した解脱の友人。
 若干二十歳そこそこなのに、当時30歳だったわたしや妹を「おまえ」呼ばわりしてきて。でもその人は尊大でも許されるキャラなので、とくに何とも思わなかった。

 2001年のある日、わたしが、「ホームページ作ろうと思うんだけど、何か良いツールがあるなら教えて?」と質問したところ、「note pad と打ち込んでみな。」。 言われたとおりにそう打ち込んだら、「メモ帳」が出てきて、「なにこれ?!」と言ったら「ま、がんばりな。」と言い残してその人はチャットルームを落ちてしまった。
 わたしはその真っ白なメモ帳を見つめながら呆然となった。一から創れってこと?? なにをどうしたらどうなるの。その夜から孤軍奮闘。緑色のホームページにしようと決めていたので、テーマカラーの緑色を「99cc99」にした。色んな人のホームページのソースをみて、htmlをマネしてみたり。数字や英語が苦手で頭のわるいわたしにはとうてい無理と思いながらひとつひとつ形にしていった。そして、なんとかかんとか完成させた思い出がある。
 名も知らぬ草に、が誕生したのは2001年4月14日。ユザワヤの園芸館?で、ユーカリソレイロリアという植物を買ったと記されている。
 そうだ、わたしは2001年3月~4月、前年の盲腸手術の後遺症(内臓が癒着:ゆちゃく)の、腸閉塞で1か月も入院していたのだった。今はお腹の大きな傷も見慣れて、すっかり忘れていた。
 入院していたとき、同室の人たちから、まるで母親みたいな、ううん、それよりもっと温かく親切にしていただいて。「その人たちの愛をわすれてはならない、どこかに書きとめておこう。」と思ったのが、名も知らぬ草に を立ち上げるきっかけとなった。

 おまえ呼ばわりの友人。もう連絡もとっていないけれど。元気かしら。 はたして友人は。解脱できたのだろうか。 や、解脱という言葉がでてくる時点で、かなりのところまで達しているような。

 草という名前は、チャット時代「そう」だったところに、大好きな野草の文字をかさねたもの。
 「そう」というハンドルネームは、当時の家人がチャット中にトイレに消えたので、その代役としてチャットルームに入るとき、とっさに自分のネームを思い浮かばず、「そぉねぇ、うーん。そうねぇ。……、【そう】?!」とひらめいたのが「そう」。そのときのハンドルネームがそのまま定着して今に至る。
 チャットをするときは、基本は素のまんまだけど、ときおり、気分によって「乙女」になったり「おねえさん」になったり「バーサン」になったり「 (空白)」あるいは、「ξ ←(巻貝のつもり)」になったりしていた。
 チャットでは挨拶ていどのやりとりをして、フッとそれで気が済んでしまうと、いきなり「落ちます。 >ALL」と一言だけ残して退場していた。いつもそんなふうなので、彼らからは「風のようだ(笑)」と言われたり。そうね、風のような存在だったかも。
 あとになって思ったのは、「そう」は「はい。」と同じで、英語なら「so」、「yes」とか、どこか肯定の雰囲気がある。 「sou」に「L」をつけると、「soul/ソウル(黒人音楽、魂:たましい)」となるし、あぁ、いいかもしれない。と思ったり。
 チャットの人たちは皆おもしろい名前で、暮らしてる街もさまざま。友だちの少ないわたしは、あそこでたくさんの友だちができて楽しかった。あの頃はネット接続がダイヤルアップで、夜11時?から早朝にかけてのテレホタイム(テレホーダイ)になるとみんなが集まってきてワイワイと他愛ないおしゃべりが始まるのだった。
 チャットをするようになって初めてパソコンに触れたので、キーボードの文字配列を覚えられなくて。タイピングは上達しないまま。 今も文字をうつときは一本指で、一つ一つ見ながらタイピングしている。中身がたどたどしいから、出てくるものもたどたどしい。ごめんなさい。

 

 2001.6.10 の日記より。「 おおきな荷物が届くので 友人に留守番をたのんで出かけた。
家のものを買うのが目的なのに ペット用品売り場で水槽&サカナに引っかかる。水草の間からメダカが顔をだしたり隠れたり。尾ビレと背ビレと胸ビレをヒレヒレヒレヒレ。。 目をまん丸にあけて、ヒ?というクチで何故か半笑いだ。半笑いのまま薄オレンジに透けるヒレをいそがしく動かしている。 もしも水槽を置くなら、やっぱり目の高さだなぁ とか考えたり。

魚用の仕切りの付いた皿と灰皿と 雨ざらしに耐えるサンダルを購入して店を出ると たまりかねたように雨粒が落ちてきた。
窓をぜんぶ閉めてくれる? 留守番している友人にお願いメールを打つ。 ヒサシが無くて雨が吹き込んでくるから。
 はい、閉めましたよ。と返事が来て思った 『これって。。生セコムかも。』 」

 生セコム君は、引っ越しのときにも来てくれて、箱にしまった食器類を包む新聞紙やプチプチをはぎとり、食器類を食器棚にしまうのを手伝ってくれながら「いろんな形の食器があって面白いですね(^▽^*)」と微笑む。まるでエプロンサービスのようなテキパキさで、わたしは驚いた。
 セコム君は、うちのパソコンのトラブルがあると、遠い埼玉からすぐに駆けつけ、あっというまに直してくれて、たのもしくて頼りになって有能な好青年だった。 あと、「〇〇さん」とか「△△ですよ。」とか「ありがとうございます。」と、まだ大学生で社会経験もないはずなのに、礼儀正しいところもよかった。
 オフ会のときには、「からあげ、どうぞ」といって遠いところにある鶏の唐揚げをわたしにサーブしてくれたり、わたしがアルコールひとくちで真っ赤になっていると「大丈夫ですか。お水飲んでください」と気遣ってくれたり。
 オフ会では、セコム君がデジタルカメラで盛り上がっている様子を撮っていた。「写真、できましたよ。送りますね。」といって送られてきた画像のなかには、参加者一人一人と、わたしが写っているものもあり、「いつのまに撮ったの?!」とびっくりして訊くと「ワザを使いました。ふふふ。」と得意げに笑う。なんですか、この盗み撮り少年。
 セコム君がうちに来たおり、カメラでわたしを撮ろうと追いかけてきて、写真うつりがわるく(撮られる瞬間、目をつむったり、半目になったりする)カメラ嫌いのわたしが「やめてよう!(>_<)」とつい声を荒げたら、「すす、すみません。」とセコム君は耳まで真っ赤になって謝っていて、わたしは『あぁ、かわいそうなことしちゃった。あとできちんと謝らなくちゃ……。』と反省したおぼえがある。 セコム君は写真の達人らしく、こんなブスのわたしをいつも綺麗めに撮ってくれて、ありがたい存在だった。

 

 自分がどういう顔なのかは分からない。生まれたときからこの顔だもん、これでいくしかないとあきらめてる。 友人は「チーズ スイート ホーム」という漫画の子猫チーに似ているという。「チーがびっくりして目ぇまん丸になったときの、そうそう、これ、この顔にそっくりや。」と教えてくれた。
 わたしは父親似。父は周富徳真田広之栗原類に似ている。 父とわたしはあまりにも似ているので、一緒に歩くのが恥ずかしい。 昔、実家を訪ねて、夜になって帰ろうとするわたしを父が大通りまで付き添ってくれて。「ようし、おとうさんがタクシーつかまえてやるからな☆」と片手を上げるのだけど、なぜか父は、次々とくる「空車」のタクシーには何のアクションもせず、「賃走」「迎車」のときだけ手を上げて、「おっかしいなぁ。タクシーぜんぜん来ないなぁ……。〇〇ちゃん、もう帰らないで今夜はうちに泊まっていきなよ(^^*)」とかいう。父は寂しくて別れたくないのだろうけど、わたしはとっとと自分のマンションに帰ってシルクロードで(当時お気に入りだった、チョコレートの匂いのする煙草)一服したかった。 つれない娘でごめんなさい。
 昔、友人の義理兄がわたしのことを「〇〇ちゃん、桜井幸子に似てるよね。ほらこれ!この表情!」といって興奮したようすでガソリンスタンドのCMを指さした。
 わたしがまだやせていて39キロだった頃、母は「あんた、その寂しそうな顔、葉月里緒奈みたいだね」と可笑しそうに笑った。高校生の頃、テレビアニメの「ストップ!ひばりくん」(原作:江口寿史)を見ているときに「あんた、ひばり君に似てない? そっくりじゃん。」と言ってきたり。 中学生のとき「クリーミィマミ」を見ていたら、「あんた、このマミみたい(変身する前)。いつもフードつきのパーカーでさ。」    え、わたしは黒んぼとかインディアンとかインド人じゃないの?と戸惑った。
 ちなみに、わたしの好きな男性の顔は、浅野忠信新井浩文(目がとくにステキ……)、忍成修吾くん(おしなり・しゅうご)、ハーヴェイ・カイテルクリント・イーストウッド。映画「ウルヴァリン」「ニューヨークの恋人」のヒュー・ジャックマン。 「ロッキー」のシルベスター・スタローン、「男はつらいよ」の寅さん、サラ・イネスの漫画「誰も寝てはならぬ」のヤーマダ君。 千代の富士(故:九重親方)、ジャッキー・チェン松重豊滝藤賢一、皇太子さま(浩宮:ひろのみやさま)、NHKの どーも君、クイーンのフレディ・マーキュリー。その他。

 

 どんなに親しい間柄でも、気をつけないといけない。デリケートに扱わないと。だって、人間は傷つきやすいものだから。こわれもの注意。
 きのう。仕事帰りの友人と雑談。こちらが1訊くと、10とか20とか返ってくる。テレビ画面は9.11の特集番組。9.11のときはびっくりしたね。と振り返る。 友人の話は興味深くて、ためになる。わたしはそれをひとつひとつ真剣にきく。 友人との他愛ない話は2~3時間にもおよんだ。それでもまだ足りない。もっともっと聞きたいのに。友人も話したりないらしく、じゃあ続きはまた今度、おたのしみね。とおひらきになった。

 

 夕方。ひさしぶりに高野どうふとしめじの煮物。昨年つくったきりなので、作り方をすっかり忘れている。どうしよう。 とりあえず雪平鍋に半分、お水を入れて、そこに昆布だしとかつおだしのスティック一本ずつ。お砂糖4杯、しょうゆつぎから、おしょうゆをくるくると5周。そうよ思い出して、身体がおぼえているはずでしょう。 おつゆが沸いたら、高野豆腐(乾物)、つづいて、子房にちぎったシメジを投入。これでいいのかな、どうかな。 できあがってから冷めてみないと、食べてみるまでは分からない。
 ようやく冷めた。いま、つまんでみた。うん、そぉね……。火をとめるのが遅れたためか、クリーミィな食感ではない。 もうちょっとだけ、おだしがほしいかも。

 

 Pulp を初めてみたとき、ボーカルのひとの、(誰かと待ち合わせしている設定?)自分の指と爪で遊ぶ仕草が、退屈してるときの女の子みたいで「あぁ、あるある。」と可笑しい。 くねくねと謎めいた身体の動きに、目が釘付け。くねくねしてるのにキメの瞬間もあり、カッコイイ。

 「アルツハイマー病を患う妻に、夫はキャメラを向けた」 「おてんとうさまがほしい」のサイトをみると、まずいちばん上にこのような言葉が表示される。

 

 

映画 「おてんとうさまがほしい」
http://www.motherbird.net/~otentousama/

 

 

 

名も知らぬ草に 2001年6月
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/5082/past0106.html

 

 

・(2018.9.11 未明)はなぢ /降りてくるにもほどがある /2004. 詩、再掲。 /木綿の日曜日 /ダイヤルアップ接続音 /フローラ

 

 

 夜。バービーボーイズをけっこうな音量で聴いていたら 何かが降りてきて、それをあわてて手近な紙に(コピー用紙)ワーっと書きつけて、よみかえしていたら。
なにこれ、文字がふるえて逸脱しちゃってる。よりによってどうして今なの。 はなの奥から うっすらと血がにじんできた。
これはいけない。ちょっとそこの小娘。今夜はこのへんにしておいて 薬をのんでとっととお眠りなさい。 ちょいとそこのお嬢ちゃん、きょうもいちにちよく乗りこえましたね。 おやすみなさい。よい夢を。

 なんだろうな、これ。断線していたところが 火花をちらしてつながった感じ? ダイヤルアップでぴ~ひょろろ。きっと、いまだけだろう。 そうだ。ホネホネロックで踊ろう。 だって わたしはすでに死んでいるんですもの。
 いまのわたしにはシゲキがつよすぎたのかも。痛いっ。足ゆびにトゲがささったみたい。 球根かもね そうかしら。 ちょっとそこのバービーボーイズ。わたしのどこをわかるっていうの。

 いつか、「日曜が手をふる」と書いたけれど。いまは何曜だったかな。何曜日でも手をふるのらしい。

 

 

_____________
・土の中 (2004.6)


右足で左足を踏んでいた

まるで気付かなかった


ふわり微笑んだりして
左足、あなた

指も爪も
死んでるじゃない


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・おしながき (2004.6)

きょうは
何か
他のもの

すがるような聴き方
したくない


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・天窓の子守唄 (2004.6)


剃刀のように痩せて老魚
水よ
やさしくあれ


星のない空をゆるす者
夜よ
やすらかにあれ


_____________
・木綿の日曜日 (2004.)

 

衣ずれのように彼はきて
背中から
そっと何かを羽織らせてくれた


日曜が手をふる
わたしも手をふる
ありがとう

何事もない一日をありがとう

 

 


_____________

 

 

 

・【9.11の映画】 /大人と子供の間には /やさしく書きたい /名も知らぬ草に、2003年より /動物界の驚き /毒か薬か /地球上もっとも美しい人 /新しいジャズロック

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 11日(火曜)午後、テレビ東京で映画「ワールド・トレード・センター /2006年、アメリカ」が放送される。9.11のあれだ。

テレビの番組案内より。 「9.11テロの現場で起きていた真実。」
あらすじ: 9.11同時多発テロ。標的となったニューヨークのワールドトレードセンタービル。その高層ビルでは何が起きていたのか?命がけで救助に向かった警察官たちの運命は?!

 

 ある人のツイッターで「坂上忍さんが主催してた子役スクールでの指導のやり方とか、「恐怖支配」以外の形容詞がなかったもの」とあり、それで思い出した。
むかし、萩本欽一の司会による番組「オールスター家族対抗歌合戦」で、欽ちゃんがこれから歌おうとする家族のなかの小さい男の子にマイクを向けて「ぼく、お名前は?」「〇〇△△です」「え?聞こえないよ!お名前は?」「〇〇△△です」「もっと大きく!」男の子は真っ赤になって「〇〇△△ですっ」「もっと元気よくっ!はいっ、お名前は!」「〇〇△△ですっ!」というやりとりがあった。それは番組を盛り上げようとする演出なのだろうけど、引っ込み思案で声の小さい(大きな声を出したことのない)わたしはその男の子のいたたまれない気持ちが分かる気がして、「欽ちゃん、ひどいなぁ……あの子、かわいそうじゃない(>_<)」と思った。 「子供は元気いっぱいなのがいい」というオトナの決めつけがツライときもある。
それから、小学校の4~6年生までクラス替えなしで先生も生徒も3年間一緒だった。担任の若い女のI先生はとても厳しくて、ひとりだけ違う行動をする生徒や口答えも許さない人だった。ドイツ式のスパルタ教育だろうか。宿題をしてこなかった生徒を問い詰めて「それはナマケですね?」と断定して、その生徒を廊下に立たせたり、机を廊下に出されりした。I先生はカリスマ性があり、クラスのみんなが崇拝して従った。先生は絶対的な存在で、クラスの空気がまるで軍隊のようだった。授業中、生徒のおしゃべりの止まないときはI先生が90センチもある竹の長い物差しで黒板を「ビシーーッ!」と叩くと、教室内が水を打ったかのように凍りついた。黒板の「ビシーーッ!」は授業参観のときにもあり、教室の後ろに並んでいたお母さん方がその瞬間、息を呑んだ空気になった。帰宅すると母は「何あれ!先生、おっかないねぇ……」と震え上がりながら言っていた。 伊豆高原の宿舎では消灯時間をすぎても女子の部屋を訪ねようとする男子のために連帯責任として男子全員が冷たい廊下に30分も正座させられた。 なにかの宗教みたいだとも思った。わたしは内心、その統一性にかすかな恐怖感と疑問をもっていたけれど、とりあえずみんなと同じように行動してなるべく目立たないようにしていた。
 I先生はクラスの人気者で、休み時間になるとみんなで教卓の周りに集まってI先生から一人ずつ「ドクタースランプ・アラレちゃん」の絵を書いて頂いたりしていた。わたしは先生からもらった板垣退助のシールを勉強机の鍵つきの宝物ひきだしにしまって大切にしていた。
 でも、いいところもあった。I先生は生徒ひとりひとりの個性を見出して「〇〇君にはこんないいところがあるのよ」とみんなの前でほめてあげたりした。I先生はいじめや仲間外れを絶対にゆるさない人だったから、うちのクラスではいじめがなく、勉強のできない子、何をしてもモタつく子、消極的で友達の輪に入れない子などがいると、クラスのみんなで応援したり、話しかけたり手伝ってあげたり、遊ぶときに声をかけてあげたりしていた。
 恥ずかしいこともあった。5年生か6年生のとき、図工の時間に自分のすきな有名絵画の模写(書き写す)をすることがあり、わたしはモナリザを模写した。うしろから来た先生が「〇〇さん、よく描けてますね、すごいわ(^▽^*)」と声をかけてくれた。すると後日、廊下に面した壁にわたしの描いたモナリザだけが貼りだされた。他にも、ううん、わたしよりも絵の上手い子が何人もいるのに、その子たちをさしおいてどうして一人だけ?? みんなの絵も一緒に貼りだしてくれたらいいのに。目立たないでいたいのに。これじゃ注目されてしまうかもしれない、どうして先生はこんな恥ずかしいことするの、とわたしは、その絵が外されるまでの何週間かを消え入りたい気持ちで過ごした。なにごとにも消極的で算数が不得意だったわたしにI先生はおそらく「もっと自信もって☆」と言いたかったのだろうけど、あれはいたたまれなかった。
 家庭訪問でI先生がわたしの家に来たときのこと。「〇〇さんは、家庭ではどうですか」と先生が訊くと、母がまってました!とばかりにまくしたてた。「○○はお手伝いをひとつもしないし(いつもしてるでしょう)、おつかいを頼んでも融通がきかないし(3本入りのにんじんを買ってきてと言われて八百屋さんに行くと5本入りしかなくて、母のいう通りにしないと、5本入りなんて買ってきたら「こんなに要らないのに!」と怒られると思って結局、買わずに帰った)、妹をいじめるし(神に誓って、そんなこと一度もない(@_@))、ひどいんですよ!」 するとI先生はびっくりして、あわてて「○○さんは国語がよくできるし、何事にも一生懸命に努力して、がんばり屋さんなんですよ(^^*)」とフォローしてくれて、わたしはあまり頑張っていない自覚があったから「がんばり屋」だなんて言われて『がんばってません、ごめんなさい……』とうしろめたい気分になった。
 本を読むときはI先生の言葉を思い出す。「一回読んで分からなかったら、10回読みなさい。分かるまで読みなさい。」 わたしは、たった一言でも一行でも、きちんと理解できるまで先に進まない。先生のあの言葉をきく以前からそうしてきたけれど、あの言葉をきいてからはいっそう慎重に読むようになった。ときには返し縫いのようにして前の頁にもどることもある。 ルビのふられていない読めない漢字が出てきたら、国語辞書をひらいて、「こうかな?」と推測した読み方を調べる。読み方が判明したら、その漢字をてのひらに指で書いてみる。 そんなふうだから、わたしは一冊の本を読み終えるのに何日もかかっていた。
 余談。わたしは日記にはむつかしい漢字はつかわないように心がけている。ひらがなはやさしい。 昔、母が「これなんて読むの?【しゅつとら】?」と訊いて父が「馬鹿だなぁ、【しゅつえん】だよ(笑)」というやりとりがよくあった。 文体もできるだけ平易にわかりやすく、たとえば新聞記事のようにムダのない文体、尋常小学校しか出ていないというお年寄りでも、小学生の子供が読んでも分かるように書きたいと思っている。


 2003年、9月の日記より。2003.9.8 「 きのう。家人の部屋に入っていって意味なく冷蔵庫をのぞいたり家人のむっくりした背中を眺めたりしていると、家人が空調のリモコンをとってピッ、ピッ、と温度を下げた。「なんやろ… 〇〇ちゃん来たら嬉しいんかして、体ほかほかしてきた」と言い、おでこに小さな水玉を浮かべながらエヘヘ…と照れている。 冗談なら返しようもあるだろうけど。私はうろたえた。 うろたえ、あきれ、固まったあと、ようやく「そ、そぉ、ふぅん」とだけ返し、早々に家人の部屋を出た。
 夜。家人がテレビゲームをしているところへお菓子をもって入っていった。チップスター海苔味。ふたをツポンと取り、中身を家人に渡す。内袋をあけてもらうあいだ、私は筒に口をあてて「ア~~(はやくはやく開けて)」 家人がふりむき、かわいいなぁ、と私の頭をなでる。 ゲームに集中している家人の横でポリポリポリ…。ほとんど私が食べてしまった。からっぽの筒の中にむかって「ア~~(もっと食べたいかも)」 家人がふりむき、目尻を下げて微笑む。 わたしはクルッとうしろを向き、すぅっと息を吸うと、筒の中にコショコショと言葉を入れ、いそいで蓋をした。「なに?なに言うたん?」うしろから家人がのぞきこんでくる。 なにって、それは。 …ナイショ。 」

 2003.9.12では、キリンジが反則だと述べている。 「 今朝、新聞をとろうと玄関をあけると、おんぶバッタがいた。なにもおぶってない。
 バルコニー。水やりとカメの水替え。水槽を洗ったあと、カメをコンクリ上に放す。2往復させたところで水槽にもどす。プチ遠足。
 髪が暑い。えりあしが特に。くるくるぱちんとまとめたいけど、長さが足りない。 考えたすえ、髪をはさむものを2つ使い、うしろのほうだけとめてみた。 うちわで風をおくる。むきだしになったうなじからスーッ。背骨のなかをとおって鎖骨、胸の骨まで冷たい水が走った。 晴れでも雨でも曇りでも、ラジオでキリンジが流れると「反則!それって反則!」と思ってしまう。アもウもなくいきなり甘酸っぱい世界。 」

2003.3.3より。 「バルコニー。やわらかな陽のなか、目をほそめて洗濯物を干す。空からは飛行機の。南風に運ばれたエンジン音。手をとめて聴き入る。
 なにも考えない。なにも思わない。
 満ちている。 」

2003.10.6より。 「 テレビで「男はつらいよ」を半分だけ観た。 老獣医(三船敏郎)はスナックのママ(淡路恵子)に想いをよせている。ずっと、想いをよせている。だけど言えない。どうしても言えない。 寅さんのせりふ。「無理だろ。5年も10年も顔つきあわせてて、好きのひとことも言えないような男に、女が惚れるとおもうか?」 老獣医の娘(竹下景子)も、そおねぇ…と頷いたりしてる。 私はウーンと唸り、「…いいでしょ」小さくつぶやいた。 いま気付いた。寅さんも、『言えない男』なのだった。 」

2003.10.3より。「 歌手のアーロン・ネビルが車を売るときに契約書を交わしたのだけど、相手の人は契約書を読むことができなかった。文盲だった。アーロンはたいへんなショックをうけた。識字率を上げるための運動に参加するようになり、先日は幼稚園でみずから子供たちに絵本を読み聞かせた。 …という話をラジオで聞いた。
 ふわふわ連想して、じぶんの「文字はじめ」のことをおもった。「読む」のはいつからはじまったのか覚えてない。「書く」のは母に教わった。幼稚園も保育園も行っていないため、学校に上がるまえに母が教えてくれた。裏の白い広告の紙に鉛筆で。「あ」からはじまり、じぶんの名前をひらがなで書ける程度まで。時計(時刻)の読み方も教わった。これは苦労したわ、と母が言っていた。そうかも。時計はむずかしいかも。
 それから。漫画のなかの話。鈴木志保「船を建てる」という漫画。 平原をはしる一本道で、青年が腹ペコの行き倒れの老サギ師と出会う。ヒッチハイクを試みたり、車泥棒したり、いろいろあるのだけど、青年の目的地に着いたところで二人の旅は終わる。 別れぎわ、老サギ師はスネている。青年がいう。「じゃあ手紙を書いてよ」 「手紙なんか書けん」しょんぼりと老サギ師。「どうして!?」 「…だってわしは字が書けんもん」 そこから旅のひとコマひとコマがモノローグのように流れ、最後の頁に至る。私は最後の頁で泣いた。何度読んでも泣いてしまう。 」

2002.11.20より。 「 昨夜はおでん。家人が、おでんはおかずにならへん…と言いながら、しっかりとご飯をおかわり。この、色ついた玉子がええねん…と大事そうに、玉子をいちばん最後にほおばっていた。はんぺんを忘れてしまい、妹に「ええーっ!」と言われる。そぉ、そんなに好きだったの。私も好きだったけれど、このごろは大根のほうがよくなった。
 朝。ダブルクリックの夢をみた。指がいうことをきかず、どうしてもカチカチッとできない。パソコンから「もっと早くっ」「ちがうっ」と厳しい声がとぶ。まるで『エースをねらえ』の宗方コーチ。目覚めてからも、ちょっぴり悲しかった。
 夜。妹にどんぐりをあげた。実家にもどる妹を見送る。月が傘かぶってるよ、と指差したりしたけど、ほんとうは月なんてどうでもよかった。バスに乗り込むところを見たら泣いてしまいそうなので、バス通りの角で別れた。 」

 

 「おんぶバッタなのに、何もおぶってない」以外にも、動物界には驚きの事実がある。鳥なのに飛べない(ペンギン)、亀は意外と速い、ミミズにはオス・メスがなく、前にも後ろにも進める、サケのメスのなかには、メスなのに卵を産まないものがいる(それは「鮭児」と呼ばれて珍重される)、金魚も亀も地震予知できる、中国人は椅子以外なんでも料理して食べるらしい、など。 余談だけど、うちは家族そろってテレビの「野生の王国」や「川口浩・探検隊」を真剣にみていた。

 

 わたしの書くものは、極力だれかを傷つけたりしないように細心の注意をはらっているけれど。あまり読みすぎると健康を害するおそれがあるかも。用法・用量に気をつけて、心身に異常がみられた際にはかかりつけの医師にご相談を。


 あれはいつだったか。グレイス・ジョーンズを初めてみたとき、この地球上でもっとも美しい人だ、と驚いた。エレガントで野生的で。 奔放に伸びた手脚は、どこかジャコメッティの彫刻を想起させる。 ライブ版がどうしよう。……女神だ。女神の降臨だ。
 デビッド・デクスター.Dが深夜のラジオJ-WAVEから流れてきたとき、わたしは苦い珈琲をくちにしてしまったか、あるいは大きな岩で頭をガーンと殴られたくらい、いい意味でショックを受けた。なにこれ、こんな音楽きいたことない……、とラジオのまえに釘付け。なんてめざましく新しいの?!と全身を耳にして聴き入った。 (音楽の専門的なことは知らないけれど)ところどころ「A列車で行こう」や「チュニジアの夜」が現れたり隠れたりして、ジャズとロックとファンクとヒップホップ?がひとつに溶け合っていて……、すべてが一曲のなかに収まっていて、色んなジャンルの音楽を聴いてみたいわたしにはありがたい仕様だった。

 

 

 

 

 

 

・防災するぞ /2005年、名も知らぬ草に /名も知らぬ詩(2005年度) /ベン・フォールズ「フィソロフィー」 /麦のこと

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 スマホや携帯の電池の消費をおさえて電池を長持ちさせる方法。blue toothなどのアプリをOFFにする。エコ技設定を「技あり」か「お助け」にするとなおいい。「設定」→「壁紙・画面設定」→「画面の明るさ」を暗めにして、「バックライト点灯時間」を短めに設定するともっといい。
 空腹をみたせるなら、ご飯でなくてもいい。調理のいらないスナック菓子やお菓子、チョコレートや飴玉や甘いジュースなどで血液中の血糖値を上げると、空腹はまぎれる。
 体のどこかに痛みがあり、薬も効かないときは、甘いお菓子を食べたり甘いジュースを飲むと、痛みがやわらぐという。血糖値を上げるこの方法は、むかし、久美沙織丘の家のミッキー」で知った。 あと、傷口にはアロエをちぎってトロッと出てくるものを塗ると治る。オロナインも有効。 傷口の膿みやすい人は、病院へ行ってお医者さんかベテランの看護師さんに処置してもらうといい。
 栄養不足のとき、もしも牛や馬などの家畜がいる人は、動物の頸動脈を(首の横)ナイフでちょっとだけ切って、そこからあふれだす生き血をごくごく飲むとというサバイバル術がある。飲み終えたら、切り口をきゅっと押さえて止血をしておくと、ふたたび何度も飲める。これは映画「キリング・フィールド」のなかで主人公のプラン(ハイン・S・ニョール)が実践していた。ハイン・S・ニョールはカンボジア内戦の際に軍医として活動し、凍傷か破傷風で足の指を切断したり、クメール・ルージュの捕虜として強制労働・拷問にあい、あげくに身重の奥さんが餓死した過去をもつ。彼は、何年かまえにアメリカの路上で強盗に射殺された。享年55歳。

 ベッドの下のひきだしには防災用品。7月の初めから防災用のあれこれを買い始めた。日記をブログに変えたのは7月。かねてから考えてはいたけれど、実行は6月の末に思い立った。 防災用のひきだしには、小型ラジオ、LEDの懐中電灯(マンガンより、LEDの方が長時間つく)、乾電池(懐中電灯&ラジオのための、単4、単3)、水、カロリーメイト、たばこのカートン、予備のライター、爪切り、わたしのガラケーの電池パック、銀行の通帳、筆記用具、はさみ、ウェットティッシュ、台所用アルコールスプレー(手指や身体の殺菌、消毒)。
 きょうは病院の帰りにカセットコンロのガスボンベを購入。 まだ万全とはいえない。でも、あと何が要るだろうか。
 昨日は友人に頼みごとをした。 もし、とんでもない地震とかあったら、わたしはまず大丈夫だから。あなたがもし余裕あったら、わたしの実家の母と妹の様子を見に行ってくれる? 災害時には電話はつながらないだろうし、妹のメールの返信は5日くらいかかる人だから、お願いします。 ……と頼んだところ、友人は「よっしゃ。わかった」と了承してくれた。

 

 ふと思い立って自分のサイト「名も知らぬ草に」の、2005年「名も知らぬ詩」と「こぼれ種(1~6月)」をみたら愕然となった。何このひと、危ない……。

 2005年の日記を読み返していると、「エビ渋滞」という言葉が出てきて笑った。 3月にはベン・フォールズの曲がラジオから流れてきたことが判明。たしか当時のドラマ「ロング・バケーション」で、キムタクが松たかこに「これ、いいんだよ。聴いてみて。」と教えてあげたのがこの曲。 YOU TUBEで探してみた。そうそうこれ、すごく素敵なの、みずみずしくって。
2005年の3、4、5、6月と読んでいく。過ぎていく一瞬一瞬がどこか詩的なことばで記録されている。そこには恥ずかしくなるくらい不器用なわたしがいた。なんでもない、平穏な日常をよくぞそこまで書きとめたものだと驚嘆する。なんと無邪気な日々なんだろう。なんて大切な瞬間だろう。 その後の流転を経て、すっかり忘れていた。あのとき大切だったものを、愛したことを、愛されたことを。

2005.6.1より。「カルチャー・クラブの「THIS TIME」。このアルバムは「TIME」という曲めあてで買ったのだけど、収録されたどの曲もいい。 聴きながら、いつのまにか中学生のわたしになる。毎週土曜日はラジオを聞くために走って帰る。友達とのおしゃべりを早々に切り上げ、じゃあ、の声だけ廊下に残し、わたしはすでに昇降口にいる。もどかしく靴を履き替え、転びそうになりながらもみじ坂のサツキの横を駆け下りれば、正門前のあの桜の木のにおいと葉ずれの音。あぁたいへん、始まっちゃう。鞄につけたマスコットをカタカタ鳴らしながら、わたしの足もこのときばかりは地面をわすれ、宙を駆ける。目指すは家のドア、ラジオのスイッチ……。 カルチャー・クラブのCDにはサイダーのような炭酸を合わせたいのだけど、とりあえず今日は氷入りの珈琲で。 いま聴くと、ボーイ・ジョージの声の深さに驚く。あの頃はメロディーに惹かれていて、声のことは気付かなかった。 二十歳を過ぎてからも毎年、初夏から夏の終わりまで聴いた。たいていミニスカートかホットパンツで、文庫本の頁を繰りながら聴いていた。ときおり本を伏せてグラスの水滴をハンカチで拭っていると、頁の間からするすると紙が出てきて「○○文庫、夏の百冊」なんて文字がみえる。難しそうな本の名が並ぶなかに自分の読んだことのある本をみつけ、ちょっとうれしくなって、そこにボールペンで印をつけたりするのだった。」

2005.6.3より抜粋。「食卓の上の水槽(メダカ・エビ入り)ではエビが元気に活動している。水草や素焼きの土管の表面をかきとり、それを両手でコネコネしてから口へ運ぶ。つねにヒゲ(長い触角)をいろんな方向に動かして周囲に気を配っているのだけど、通りすがりのメダカがおかまいなしにチューをしていく。」

2005.7.9。「 きのう。お風呂の中でふと岩館真理子の漫画を思う。可笑しいのにちょっぴり悲しかったりするところとか。目のなかに星がいっぱいあるところもいい。
 コンビニのサラダを食べようとして割り箸を割り、このまえ割り箸のささくれが指に刺さったことを思い出す。刺さったのは初めてで、じゃああれは意味があるんだと感心したのだった。(あれ=割ってからシャシャッとこすり合わせること) 映画「男はつらいよ」で寅さんが女の人に「危ないからね、はい」と割り箸をシャッシャッとしてから渡す場面があり、わたしはいつも大げさだなぁと思っていたのだけど。ほんとに刺さるんだ。危ないのだ、うん。 寅さんといえば。好きな女性の前で声が裏返ったりする寅さんがたまらなくいい。上ずって、つっかえつっかえになってしまう気持ち、わかる。流暢な人より、アガってしまう人のほうがずっと。」

2005.6.24&25。「 うちの冷蔵庫はひとりでに氷をつくってくれる仕様なのだけど。氷がほとんどないのにさっぱり作ってくれなかったり沢山あるのになおも作っていたり、つまり、やる気のあるときと無いときとあり、どうしてなのかずっと謎だった。給水の度合いは関係ないようだし、できた氷の重さ・かさで判断しているのでもなさそう。 昨日ハッと気付いた。冷凍庫の扉を開閉する頻度かも。開け閉めの多いときは氷がセッセとつくられ、あまり触らないとつくらない。という仕組みなんだきっと。 だとしたらそれを考えた人はすごい。天才じゃないかしら。 とりあえず今日は意味なく扉を開け閉めして、この仮定が合っているかどうか確かめる。
 きのう書いた氷の実験。気がつくたび扉を開け閉め(ただ開閉する)しているものの、はっきりとした結果はまだ。もっと激しく情熱的にしないとだめなのだろうか。」

 2005年にやってきた子猫「麦」を9月に亡くしてからは、わたしのもとに詩が降りてこなくなった。心が凍りついてしまったのらしい。あのときに麦といっしょに召されてしまったのかも。わたしはあのときにこの世の極北をみた。神聖かまってちゃんの曲名に「神様それではひどいなり」というのがあるけれど、まさにそれだった。
 ことしの夏ごろに詩が降りてきた。心が永い冬眠から目覚めたのだろうか。ううん、まだわからない。
 「死んだ子の歳をかぞえる」という川柳があるけれど。わたしはちがう。わたしのなかの時計はあのときに止まったまま。

 カルチャー・クラブ「Move Away」 ボーイ・ジョージの肩パッドどうしたの。間奏部分の拍手がお気に入り。
 ベン・フォールズ「Philosophy」 みずみずしくって。ピアノがなだれ落ちてきてどうしよう。 早春の風に吹かれたときの匂いがする。
 「視力検査」 こんなに笑ったの、久しぶり。

 

 

 


名も知らぬ詩 (2005年度)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/5082/past0513.html

こぼれ種(2005.1~6月)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/5082/past0501_0506.html

名も知らぬ草に 2005年 過去日記一覧
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/5082/past.html