名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・防災するぞ /2005年、名も知らぬ草に /名も知らぬ詩(2005年度) /ベン・フォールズ「フィソロフィー」 /麦のこと

f:id:namosiranu_kusani:20180908143850j:plain

 

 

 

 スマホや携帯の電池の消費をおさえて電池を長持ちさせる方法。blue toothなどのアプリをOFFにする。エコ技設定を「技あり」か「お助け」にするとなおいい。「設定」→「壁紙・画面設定」→「画面の明るさ」を暗めにして、「バックライト点灯時間」を短めに設定するともっといい。
 空腹をみたせるなら、ご飯でなくてもいい。調理のいらないスナック菓子やお菓子、チョコレートや飴玉や甘いジュースなどで血液中の血糖値を上げると、空腹はまぎれる。
 体のどこかに痛みがあり、薬も効かないときは、甘いお菓子を食べたり甘いジュースを飲むと、痛みがやわらぐという。血糖値を上げるこの方法は、むかし、久美沙織丘の家のミッキー」で知った。 あと、傷口にはアロエをちぎってトロッと出てくるものを塗ると治る。オロナインも有効。 傷口の膿みやすい人は、病院へ行ってお医者さんかベテランの看護師さんに処置してもらうといい。
 栄養不足のとき、もしも牛や馬などの家畜がいる人は、動物の頸動脈を(首の横)ナイフでちょっとだけ切って、そこからあふれだす生き血をごくごく飲むとというサバイバル術がある。飲み終えたら、切り口をきゅっと押さえて止血をしておくと、ふたたび何度も飲める。これは映画「キリング・フィールド」のなかで主人公のプラン(ハイン・S・ニョール)が実践していた。ハイン・S・ニョールはカンボジア内戦の際に軍医として活動し、凍傷か破傷風で足の指を切断したり、クメール・ルージュの捕虜として強制労働・拷問にあい、あげくに身重の奥さんが餓死した過去をもつ。彼は、何年かまえにアメリカの路上で強盗に射殺された。享年55歳。

 ベッドの下のひきだしには防災用品。7月の初めから防災用のあれこれを買い始めた。日記をブログに変えたのは7月。かねてから考えてはいたけれど、実行は6月の末に思い立った。 防災用のひきだしには、小型ラジオ、LEDの懐中電灯(マンガンより、LEDの方が長時間つく)、乾電池(懐中電灯&ラジオのための、単4、単3)、水、カロリーメイト、たばこのカートン、予備のライター、爪切り、わたしのガラケーの電池パック、銀行の通帳、筆記用具、はさみ、ウェットティッシュ、台所用アルコールスプレー(手指や身体の殺菌、消毒)。
 きょうは病院の帰りにカセットコンロのガスボンベを購入。 まだ万全とはいえない。でも、あと何が要るだろうか。
 昨日は友人に頼みごとをした。 もし、とんでもない地震とかあったら、わたしはまず大丈夫だから。あなたがもし余裕あったら、わたしの実家の母と妹の様子を見に行ってくれる? 災害時には電話はつながらないだろうし、妹のメールの返信は5日くらいかかる人だから、お願いします。 ……と頼んだところ、友人は「よっしゃ。わかった」と了承してくれた。

 

 ふと思い立って自分のサイト「名も知らぬ草に」の、2005年「名も知らぬ詩」と「こぼれ種(1~6月)」をみたら愕然となった。何このひと、危ない……。

 2005年の日記を読み返していると、「エビ渋滞」という言葉が出てきて笑った。 3月にはベン・フォールズの曲がラジオから流れてきたことが判明。たしか当時のドラマ「ロング・バケーション」で、キムタクが松たかこに「これ、いいんだよ。聴いてみて。」と教えてあげたのがこの曲。 YOU TUBEで探してみた。そうそうこれ、すごく素敵なの、みずみずしくって。
2005年の3、4、5、6月と読んでいく。過ぎていく一瞬一瞬がどこか詩的なことばで記録されている。そこには恥ずかしくなるくらい不器用なわたしがいた。なんでもない、平穏な日常をよくぞそこまで書きとめたものだと驚嘆する。なんと無邪気な日々なんだろう。なんて大切な瞬間だろう。 その後の流転を経て、すっかり忘れていた。あのとき大切だったものを、愛したことを、愛されたことを。

2005.6.1より。「カルチャー・クラブの「THIS TIME」。このアルバムは「TIME」という曲めあてで買ったのだけど、収録されたどの曲もいい。 聴きながら、いつのまにか中学生のわたしになる。毎週土曜日はラジオを聞くために走って帰る。友達とのおしゃべりを早々に切り上げ、じゃあ、の声だけ廊下に残し、わたしはすでに昇降口にいる。もどかしく靴を履き替え、転びそうになりながらもみじ坂のサツキの横を駆け下りれば、正門前のあの桜の木のにおいと葉ずれの音。あぁたいへん、始まっちゃう。鞄につけたマスコットをカタカタ鳴らしながら、わたしの足もこのときばかりは地面をわすれ、宙を駆ける。目指すは家のドア、ラジオのスイッチ……。 カルチャー・クラブのCDにはサイダーのような炭酸を合わせたいのだけど、とりあえず今日は氷入りの珈琲で。 いま聴くと、ボーイ・ジョージの声の深さに驚く。あの頃はメロディーに惹かれていて、声のことは気付かなかった。 二十歳を過ぎてからも毎年、初夏から夏の終わりまで聴いた。たいていミニスカートかホットパンツで、文庫本の頁を繰りながら聴いていた。ときおり本を伏せてグラスの水滴をハンカチで拭っていると、頁の間からするすると紙が出てきて「○○文庫、夏の百冊」なんて文字がみえる。難しそうな本の名が並ぶなかに自分の読んだことのある本をみつけ、ちょっとうれしくなって、そこにボールペンで印をつけたりするのだった。」

2005.6.3より抜粋。「食卓の上の水槽(メダカ・エビ入り)ではエビが元気に活動している。水草や素焼きの土管の表面をかきとり、それを両手でコネコネしてから口へ運ぶ。つねにヒゲ(長い触角)をいろんな方向に動かして周囲に気を配っているのだけど、通りすがりのメダカがおかまいなしにチューをしていく。」

2005.7.9。「 きのう。お風呂の中でふと岩館真理子の漫画を思う。可笑しいのにちょっぴり悲しかったりするところとか。目のなかに星がいっぱいあるところもいい。
 コンビニのサラダを食べようとして割り箸を割り、このまえ割り箸のささくれが指に刺さったことを思い出す。刺さったのは初めてで、じゃああれは意味があるんだと感心したのだった。(あれ=割ってからシャシャッとこすり合わせること) 映画「男はつらいよ」で寅さんが女の人に「危ないからね、はい」と割り箸をシャッシャッとしてから渡す場面があり、わたしはいつも大げさだなぁと思っていたのだけど。ほんとに刺さるんだ。危ないのだ、うん。 寅さんといえば。好きな女性の前で声が裏返ったりする寅さんがたまらなくいい。上ずって、つっかえつっかえになってしまう気持ち、わかる。流暢な人より、アガってしまう人のほうがずっと。」

2005.6.24&25。「 うちの冷蔵庫はひとりでに氷をつくってくれる仕様なのだけど。氷がほとんどないのにさっぱり作ってくれなかったり沢山あるのになおも作っていたり、つまり、やる気のあるときと無いときとあり、どうしてなのかずっと謎だった。給水の度合いは関係ないようだし、できた氷の重さ・かさで判断しているのでもなさそう。 昨日ハッと気付いた。冷凍庫の扉を開閉する頻度かも。開け閉めの多いときは氷がセッセとつくられ、あまり触らないとつくらない。という仕組みなんだきっと。 だとしたらそれを考えた人はすごい。天才じゃないかしら。 とりあえず今日は意味なく扉を開け閉めして、この仮定が合っているかどうか確かめる。
 きのう書いた氷の実験。気がつくたび扉を開け閉め(ただ開閉する)しているものの、はっきりとした結果はまだ。もっと激しく情熱的にしないとだめなのだろうか。」

 2005年にやってきた子猫「麦」を9月に亡くしてからは、わたしのもとに詩が降りてこなくなった。心が凍りついてしまったのらしい。あのときに麦といっしょに召されてしまったのかも。わたしはあのときにこの世の極北をみた。神聖かまってちゃんの曲名に「神様それではひどいなり」というのがあるけれど、まさにそれだった。
 ことしの夏ごろに詩が降りてきた。心が永い冬眠から目覚めたのだろうか。ううん、まだわからない。
 「死んだ子の歳をかぞえる」という川柳があるけれど。わたしはちがう。わたしのなかの時計はあのときに止まったまま。

 カルチャー・クラブ「Move Away」 ボーイ・ジョージの肩パッドどうしたの。間奏部分の拍手がお気に入り。
 ベン・フォールズ「Philosophy」 みずみずしくって。ピアノがなだれ落ちてきてどうしよう。 早春の風に吹かれたときの匂いがする。
 「視力検査」 こんなに笑ったの、久しぶり。

 

 

 


名も知らぬ詩 (2005年度)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/5082/past0513.html

こぼれ種(2005.1~6月)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/5082/past0501_0506.html

名も知らぬ草に 2005年 過去日記一覧
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/5082/past.html