名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・■防災トイレ /2002年より② /お酒のおつまみ。鯨のベーコンその他 /ケンタッキー /映画: 春にして君を想う。イーハトーブの祖父。宮沢賢治と2ショット。 /め組のひと ラッツ&スター  


 (2018.7.30 より)・防災用トイレ

 「 先々週の土曜。友人が注文しておいてくれた防災用トイレが届いた。
 「非常用 トイレらくらくお助け袋 」という名称で、ポリ袋と消臭成分配合凝固剤が5セット入っている。これで一安心。 ちょっとそこの地震、どこからでもかかってらっしゃい。……や、来なくていいけど。 」

 

 

_____________
・(メモ) (2002.9)※お酒の、おつまみ。鯨のベーコンその他


よそのサイトで「レーズンバター」。懐かしい。あの塩気と甘酸っぱさ。父親がよく肴にしていた。他にもチーズ、ちくわ&胡瓜、網で海老やししとうや厚揚げをあぶったり、じゃがいもの短冊を炒めてソース味で、とか。
ちょっとしたものを、父はいつも自分で用意した。そして私や妹や母を呼んでは「美味しいよ、食べてごらん」といって味見させた。それはほんとうに美味しくて、母などはマイ箸を出してきて遠慮なく食べた。ほとんど私たちに食べられてしまい、父が口にしたのは最初のひと口ふた口だけ、ということもよくあった。父は「美味しかったの、そうかそうか。」と満足そうに笑っていた。食べさせることが好きな人だった。

あと何があったっけ… さつま揚げをあぶったもの。ホタルイカ、あれを酢味噌で。茹でタコをワサビ醤油で。私はタコの足先がすきで、よく母に「なんで端っこばっか食べるのよ」と笑われた。何でも端っこが美味しそうにみえてしまう。
あとは…鯨。鯨のベーコンもよく肴にしていた。辛子醤油で。あれは白と赤の部分があって、私は白が嫌いで赤身がすきだった。母は白がすきなので、白い部分は母にあげた。母は鯨ベーコンや酢ダコのとき「二度づけするなよ…」いつも父に注意されていた。 鯨を食べているとき、テレビでは相撲をやっていて…という光景がつよく残っているのだけど、あれはちょうど今頃の季節だったのかな。鯨ベーコンに旬ってあるのだろうか。

 

 

_____________
・(メモ)  (2002.9)


土曜の夜はハンバーグ屋、昨夜はケンタッキー。


家人: 「今週は外食が…ファーストフード食… 何てゆうんやろ?」
私 : 「肉食。」
二人: 「あっははは」
私 : 「これおばあちゃんも好きなのよ。食べさせてあげたかった。」
家人: 「かった、て。なんで過去形やねんっ おばあちゃん殺すなよ」
私 : 「あっははは」


家人: 「ほぅ、マヨネーズは体にいいんやて」(テレビ見ながら)
私 : 「……」
家人: 「な?」
私 : 「……」
家人: 「な?」
私 : 「え?うん」

家人: 「あ、人の話ぜんぜん聞いてへん… 肉に夢中やな?」
私 : 「ん?マヨネーズね、うんうん」
家人: 「ええねん…、どうせ俺の事なんか見えてないねん」
私 : 「そんなこと…(あったりなかったり)」
家人: 「ええねんええねん……(のの字)」
私 : 「……(ケンタッキー、この端っこの塩気が最高♪)」
家人: 「……(ショボーン)」
私 : 「おいしいなぁ♪」

 


_____________
・8.16 (2002.8)


 ビデオ「春にして君を想う」(1991年、アイスランド・ドイツ・ノルウェー)。養老施設で再会した、幼なじみでお互いに初恋だったおじいさんとおばあさんが、ジープを盗んで施設を脱走する話。 「こういうときはスニーカーよ。ハイヒールじゃ逃げきれないでしょ。」と、誇り高いおばあさんの台詞。 アイスランドにもカンナ(木を削るあれ)があるのには驚いた。いつかもういちど観たい。

 


 これを観て思い出した、イーハトーブの今は亡き祖父。
 祖父は若い頃、鉛温泉で湯治に来ていた宮沢賢治と一緒に写った写真があった。けれど、その写真はいまはない。お茶っこ飲みにくるお客さんたちや、初対面のゆきずりの名前もしらない旅人などにそれを自慢してみせているうちに、いつのまにか失くなっていたという。
 「とうさん、見せるから、盗られるんダ。見せたほうがワルイ(相手にそんな気を起こさせてしまうほうが罪、という意味)。おめさ、なんじょして見せるんだ?」と祖母に呆れられても。 祖父は苦労してきたわりに、人を信じる人だった。あっただいい人たつが、盗ったりなんてねぇダ。と、きっぱり言いきっていた。
 祖父も祖母も、見知らぬ人をも温かくもてなして「宿は金がかかるべ。せんべい布団だけんど、おめぇさん、今夜はうちに泊まってけ。」「んだ。遠慮すねぇで、ゆっくり休んでけ。」 (貧乏だったけれど)精一杯のごちそうをだして、何日も泊めてあげたりしていたそう。
 祖父の、末期の肺ガンで入院していた頃の話。ある晩、家の扉がカラカラと開いた。祖母がふしぎに思って見にいくと、祖父が立っていた。「おめぇさん、どうやって」「電車だ」「あいやー、逃げてきただか?」「んだ。あんなとこさ嫌ダ」みると、寝巻きに病院のスリッパのまま。 けっきょく病院に戻されたのだけど、生きて家の扉をくぐったのはその夜が最後となった。享年73歳。

 


 朝、帰省先から友人が帰京。「実家の猫が少しなついてきた」と嬉しそう。友人にしかなついていなかった猫を上京するとき置いてきたら、猫は友人のことを忘れてしまった模様。あるいはスネているのかも。 お土産は柿の葉寿司。こっちの友達に頼まれていた梨と関西版どん兵衛は忘れてしまったらしい。

 

 

 

 

_____________

名も知らぬ草に blog 過去日記 /詩 /メモ 
https://namosiranu-kusani-past.hatenablog.com