名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・他人のやさしさ /キチガイは /へなちょこでごめんなさい /絆をこわす /ただ静か 

 


 わたしの経験したサベツは……。ものごころついたころから。母からありとあらゆる悪口雑言と罵倒をあびせられて育った。クラスの男子には「暗い」とか(風邪で体育を見学していた日に)「ずる休み」とか(小柄だったわたしを、クラスで一番図体のデカい、ちょっとあたまのおかしくてみんなから距離をおかれていた男N一名が、先生が留守で見学の子たちが教室で自習していたとき。オマエずる休みだろと言いがかりをつけてきて、いきなり無抵抗のわたしを硬い筆箱で殴ってきた)。ちょっとだけからかわれたけど、母の「黒んぼ、土人、インド人、ブス。超ブス。こんなブサイク見たことないッ!」に比べればちっとも平気だった。


 生みの親である母はわたしにつらく当たって暴力も振るってきたけれど。 よそのお母さんはみんな優しかった。「〇〇ちゃんも夕飯たべていきなさい。子供が遠慮しちゃだめよ、ほら食べて(^o^*)」。 友だちも、クラスのみんなも、近所のおねえちゃんたちも、通りすがりの中学生のおにいさんおねえさん、おばさんやおばあちゃまも「お嬢ちゃん、だいじょうぶ??」「お嬢ちゃん。ありがとうね♪」。 妹と父と岩手の祖母、母方の伯父ちゃん、伯母ちゃん、父方の祖父母と父の妹○○さんもやさしかった。 母はちょっとあれだったから。わたしはみなしごのように人のやさしさを宝物のようにおもって生きてきた。 むしろ他人のほうがやさしくて温かかった。
 田辺聖子の小説「愛の幻滅」に、妻子持ちの中年男と不倫している主人公に、友だち思いの同僚が言いきる。「なんぼ優しいてもダメです。『優しい』が百あつまっても、誠実にはならへん!」 それはそう。 でも。たとえ社交辞令でも、うそんこでもいいから、やさしさの必要なときもある。ほんのちょっとしたことで心がじゅわっとなったりする。 どんなに小さなことでも。そのやさしさに救われるときもある。 人間は弱いいきものだもん。

 

 人にさわられるのがキライなのも、母のことがあって。わたしに触れようとする手は、危害を加えてくるものが多々あった(母のみ)。 そういえば一度だけあった。小学三年生のある日、母がフンパツして買ってくれたふんわりしたパフスリーブのピンク色のアイドルみたいなワンピースを(こんなひらひらの服、学校にはふさわしくないのに……と思いながら、それでも母につよく勧められてイヤイヤ)着ていったら。クラスの全員から「あいつは、意味なく、すぐキレるし」と避けられていた、悪役の女子プロレスラーみたいに無駄に大きくて、あたまのちょっとアレな女子Kが、(そのとき、たまたま友だちと離れていて)わたしのひとりになるお手洗いで、いきなりワンピースの肩口を引っ張りながら「ブスのくせにッ。こんなチャラチャラした服着やがって!」と、怒り狂って、それはもうキチガイじみた形相で(ほとんど白目をむいていた)、わたしの右頬をバカぢからで平手打ちした。小柄だったわたしはその一発をまともにくらい、トイレの冷たいタイルの床に倒れこんでしまった。 叩かれたとき、右耳がビィンと鳴って。Kが狂えば狂うほど、わたしの心はヒンヤリとさめて、離れていった。 Kの指が目に入って、その後数日は目が充血して、平手打ちされた右頬もジンジンとして数日間はれあがっていた。
 おまけに「てめぇ、先公に言いつけたらぶっ殺すぞ!」とKは捨て台詞を吐いた。大人に言いつけるなんて、そんな卑怯なことはしないもん。と思った。ひらひらしたワンピースなんか着ていくわたしが悪い、と反省した。 ただ、あれはどう考えても理不尽。あんなキチガイ、友だち一人もいなくて当然かも。  あのとき頭に浮かんだのはS・マックイーンの「大脱走」のヒルツ大尉。正気でありたい。屈してはいけない。とおもった。 ふぅーん。そんなこともありましたっけ。すっかり忘れてた。また忘れておこう。 人生、山あり谷あり。 ま、このくらいフツーかも。
 あのワンピース。友だちみんなして「お姫さまみたい♪いーじゃんいーじゃん\(^▽^*)\」とほめてくれたけど、あんな派手なもの、わたしは恥ずかしくてたまらなかった。みんなに埋もれて、すみっこで目立たないほうがいい。
 Kに因縁つけられたとき。ふしぎと怖くはなかった。痛みもなくて。打たれたとき、頬がアツかった。 ただ、意味不明だった。 なぜあのとき抵抗しなかったのか。1返したら30返ってくるだろう。ガンジーのような平和主義ともちがう。わたしヘナチョコだし。 それと。女の子に手をあげるなんていけないことだから。わたしはするまい。と思ってた。


 KもNも、ちょっとした領空侵犯。これがもしアメリカなら、即座に撃墜しているかも。けれど、わたしは日本的なので、何もできない。
 母は。あんなことをされても(いちおう生んでくれた恩がある)親だから、口答えもましてやり返すなんて一切しない。 こんなへなちょこでごめんなさい。m(__)m


 とりあえず。よそのおかあさんや友だちや女子は安全だった。 二十歳で独り暮らしをはじめて、じつは、母は優しい点もあると気づいた。実家を離れてから、母がちょっとだけ優しくなった。きっと母は、わたしのなにかを恐れていたのかも。ということもわかった。
 もうひとつ。 母は、「おとうさんがアンタのことキチガイっていってたよ(笑)」「アンタのこと乞食みたいだって言ってたよ☆( ̄▽ ̄)b 」。 妹とお祭りではぐれてしまったとき(わたしが人波のなか必死に妹を探し回っているあいだ、妹はさきにひとりで無事に実家に帰宅していた)、「はぐれてしまった」と報告の電話をかけたところ、電話口で母は、「アンタ、まいてきたんだろう! 〇〇〇と一緒に歩くのが恥ずかしくてまいたんだろうッ!(狂)」その電話のすぐ後ろにいるだろう妹に対しても失礼でショッキングな発言。あ・り・え・な・い。自慢したいくらいの妹だ。
 ちなみに、原色のド派手な格好の、しゃがれ声で地声の大きな母と歩くのは死ぬほど恥ずかしい(さいごに二人で歩いたのは高校の三者面談 = 年一回の保護者同伴のお話。あの日は、母が迷子にならずに学校に来られるか、帰りは大丈夫なのか。と心配でハラハラしてた。こんなに遠い学校までくるのは大変だろうに、お母さん迷子になるかもしんないのに……、先生にはわたしから話をつけておくからいい、と思っていた)。母と歩くのは遠慮したい。

 

 ことあるごとに母は、父や妹とわたしとの信頼関係や友好的なムードや、わたしたちの大切につちかってきた絆を壊そうとしてきた。
 あるとき、妹の幼なじみのYちゃんがうちの玄関ドアにぶらさがって遊んでいるのを母が「Yちゃんさぁ、何度いっても聞かないんだ!あの子頭がヌルイんじゃない?! 〇〇(←妹)、もうあんな野蛮でバカな子と遊ぶのやめな!」と、Yちゃんのことを悪く言う。 なに言ってるの。Yちゃんはからかってくる男子から妹をかばってくれたり、学校でもいつも妹のそばにいて守ってくれてる面倒見のいい優しい子なのに。 ドアにぶらさがるのは、ちょっとドリフごっこをしたかっただけでしょう。優しく言いきかせるか、ドアのちょうつがいを丈夫にしておけばいいでしょ。 もしかして母は、妹からYちゃんをとりあげて、妹を自分だけのお人形にしたかったのかしら。 家庭内はともかく、学校ではどうするの。Yちゃんがいてくれなかったら、誰があの子を守るの?? Yちゃんに感謝するどころか悪くいうなんて、どういうつもり。
 あるいは、母は、妹の心をがんじがらめにしたかったのか。 父の愛情を独占したかったのか。父がすこしでもよそ見をしたら、たとえそれが娘であっても我慢できなかったのだろう。愛は無限ということをわからない人なのかも。 迷言の数々。母の得意な妄想によるものだとして、たとえ悪気なく言ってるにしても。ちょっとどうかと思う。


 おまけ。母の口ぐせ。「アンタは冷たい」「アンタは気難しい」 冷たくてごめん。気むずかしくてごめんなさい。
 いまはとりあえず。生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。と思う。 おしゃれと健康の話では盛り上がるけど。 でも距離をおいておきたい。たまに会うから優しいのかも。
 書いたら整理できた。ちょっとスッキリ。


 つづく ?
 や、もういい。 

 

 
 いまは、ただ静か。 すっかり遠くなった。
 嵐はやんだ。 お天気はどうだろう。