名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・地獄をみた?? /意味わかんない /「ライブなんて許さない」 /わたしの地雷を踏んだ /何プレイなの? /殺されないでほしい。どうか逃げて /用はない。 /タニシ爺 /・瓦礫のなか、光る。 

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 記憶。

 元夫、つきあいはじめの頃、同僚の人たちが向こうで集まっていて、「挨拶しなくちゃ。」と言ったら「いや、友達じゃないし。仕事場だけの奴らだよ」。わたしは驚いて『職場ではあんなに仲良さそうにしてたのに??』→『あぁ、それが「大人の対応」なのか、そっか』と解釈した。→「でも○○さんと△△さん、とても親切でいい人たちね(^^)」とコメントすると、元夫はなおもこう続ける。「あんな、ヤクザとポン引き。つきあいたくない」 まるで汚物のように、吐き捨てるように言った。 わたしはショックをうけた。

 そういえば。わたしの両親にはじめて会ったとき、元夫はメガネの上から下目使いのようにしてアゴをあげて挨拶した。 両親はあのときのことをふりかえって言う。「あの男。失礼な態度だったなぁ。何サマのつもりだったのかね??」

 一緒にファースト・フードで何かのセットを注文したら、「ストローがねえじゃねーかよっ!バイトだからって、やる気あんのかよ!?」と店員さんにくってかかり、わたしはその隣で赤くなって店員さんに「すみません、スミマセン……」と謝り続けた。 スーパーで買い物したら「袋が足りねえじゃねーかっ!これで入ると思ってんのか、キサマ、バカか?!」とレジ係の若い女性を激しく叱責した。怒声が店じゅうに響いた。わたしは真っ赤になってその女性に「すみません、ごめんなさいね……」と頭を下げた。 きっと自分を大きく見せたくて、それであんな虚勢を張ってるのね、と良いほうに解釈したけれど。
 相手はサービス業の従業員だから、逆らえない立場だから。「お客様は神様だろうが!」とでも思っていたのだろうか。なぜいばるんだろう。相手もおなじ人間なのに。自分がされたらどんなにツライか、わからないのだろうか。 恥ずかしい男だ。
 あれはいくらなんでも。うーん。大恥をかいてしまった。とんだ大恥。 だんだん、その男と一緒に行動するのがイヤになっていった。 あんなこと、もう御免だ。

 わたしの仕事帰りになぜかいつも迎えにきて(必要ない。仕事が終わったら独りになりたいのに。「オマエが心配だから」と言ってた)。 オマエの親はオマエのことなんて大事じゃないんだ、オレこそがオマエを守ってやれる、と、ことあるごとに主張していた。 いま思えば。両親や友だちとわたしとの絆をこわそうとしていたのかも。わたしを両親や友だちと引き離して、わたしを孤独な立場に追いやり、オレだけに依存させようとしていたか。

 2007年、9月。実家の前の駐車場で話していたら、わたしが病院へ行くために休みをとったことを「オマエやる気あんのか、聞いてんのか、こっち向け!カオ上げろ!俺を見ろっ!!」といって、わたしのおでこを手のひらでバンッと突き押し、わたしはうしろに倒れそうになった。 実家の前で。もしもあの現場を父が目撃したら、おそらく元夫は半殺しの目に遭っていただろう。命があるだけありがたいと思へ。


 2008年 「1.23(水曜) 初雪
 22日、午前中。ベランダいっぱいに洗濯物を干して、スパゲティを茹でる。チーズクリームのソースで和え、パセリと黒の粒コショウをかける。あけたての黒胡椒から一瞬、何かの香り。香水のプワゾンかな。 食べながらふと思う。「私は地獄をみた」と言うのは怪しい。ほんとうに見たのなら言えない気がする。少なくとも、言えるところまで来たのならそれは地獄ではない。ような気がする。言えないまま、誰も知ることのないまま闇に呑まれて消えるものが地獄なのかも。 「この世のものとは思えないくらい素晴らしい体験」も。ほんとうにそうなら表現しきれないんではないかしら。
 午後、よみうり新聞日曜版の「あたしンち」(けら えいこ)を読む。たっくんが可愛い。微笑ましい。 ゆず君がいい。ゆずといえばお父さんも。二人は無口。 どうもわたしは無口な男が好みらしい。つるつる語ったり何かを主張したりする男は嫌いかも。
 今朝。キーボードを繰る手をとめ、出勤するクマさんを玄関まで見送る。ドアをひらいたクマさんが「おお、雪だ」。たて横ナナメに降っている。下の駐輪場の屋根がうっすら白い。 ふたたび日記書きにもどり、あっと気付いてベランダの洗濯物をとりこむ。雪の降りかかった植木鉢を窓のすぐそばに寄せる。 さてこのあとは。珈琲かな。やかんにお湯をわかして。 」


 2008年、1.26(土曜)より。
 「 夕方。帰宅したクマさんが、なにやら嬉しそうに二枚のチケットをわたしに見せた。佐藤竹善のコンサートだという。「それって、何日?」「4月5日」 「微妙ね……」と呟いたところ、クマさん発火。「てめえのツラなんか見たくねえ!」 びんびんと響く声でわたしを罵り、果ては「ライブも行くな! 俺は認めねえぞ!」
 お米を研いで、深鍋にお湯をわかす。筒状のパスタケースから300gを計って出す。 頭から毛布をかぶってさめざめと泣いているクマさんに、パスタソースは何がいいか尋ねる。チーズクリームとミートソースで良い?と確認。コクコクと頷く毛布。
 テレビをつけて夕飯。ミートソースに、わたしはいつものように粉チーズと乾燥パセリをたっぷりと。 クマさんはティッシュで涙を拭い、ベソをかきながら食べ始める。毛布を肩にかけたままのその姿は、救助された遭難者や連行される容疑者、はたまた銀河鉄道999 のテツローを彷彿とさせる。 エアコン入れましょうか? ううん、と首をふる遭難者。
 しばらく無言でフォークを動かした後、わたしはぽつりと口をひらく。「大切な人と竹善さんのライブに行くのがあなたの夢だった」コクリと頷くクマさん。 白いお皿に垂直にフォークを立て、数本のパスタを絡ませる。「そして二人分のチケットを取った。びっくりさせたいという気持ちもあり、相手の予定も聞かずに取ってしまった。そうよね?」コクコクと頷くクマさん。なんだか刑事ドラマの取調室のやりとりのよう。 胸の中で続ける。喜ぶかと思ったら相手は難色を示した。思わずキレてしまった。キレた揚句のあの台詞。『大切な人』にあのような言葉を吐くのがこの人の流儀か。そのうえ涙を用いて慰めを要求するのか。 口をとじたままわたしはフォークをきるきると回す。白いお皿を見つめながら、何も巻きつけず、きるきるきるきると回す。
 「ヒク、ヒック」何を思い出したのか、ふたたび泣き出し、食卓に涙の粒を落とすクマさん。わたしはティッシュを一枚ひき抜くと、わたしの唇を丁寧に拭いて、揃えた指先でパセリの小瓶をとった。残りのパスタにかける。かける。かける。 緑一色。野原みたい。すこしだけ巻きつけ、野原を口へ運ぶ。 サリサリして美味しい。 」

 あの夜、あの男は、わたしの地雷を踏んだ。 わたしの心の奥底から、底知れないナニカが沸き上がるのを、わたしは感じた。


 2008年、4.6(日曜)
 「 昨夜。CCレモンホールで佐藤竹善。厳選された音を堪能。 ピアノはシオノヤサトル(漢字不明)。左隅のピアノと、それを弾くひと(客席から見ると横顔)。舞台に映えるなぁと思った。 竹善さんのトークは長い、という評判は本当だった。それでも昨日は普段よりずっと短めだという。
 渋谷駅前で一服したとき、わたしがさっきの竹善さんの歌は素晴らしかったな……歌ごころがあるなぁ。と神妙なおももちで反芻していたら。夫がいちゃもんつけてきた。「なんだよ、キサマ、何が不満なんだよ。もっと楽しそうにしろよ!オラ、笑えよっ!」
 帰りの渋谷駅前、人込みのなかに「18人会」の札を上げる一団。何がどう18なんだろう?? さらに、大声で呼び掛けている別の一団。「FREE HUG」と書かれたプラカードを掲げている。誰でもハグ(抱き合う)します、という活動らしい。宗教でもなく、募金を募るのでもなく。通りすがりの見知らぬ人(希望者)とただ抱き合うのらしい。 」

 何プレイなの、これ?? わたしは悪い夢でも見ているんだろうか。夢なら覚めてほしい。もう一分一秒でも一緒にいることはイヤだった。どうすれば脱出できるんだろう。と思っていた。 冗談はよしこさん。


 音楽を聴くことに。誰かの許可なんていらない。 音楽禁止令? ふうーーん。 「どうしても行きたいなら、オレを倒してから行け」というのなら。 即座に死刑。 その屍を越えていくかも。


 2008年4月。 ライブに行く支度をしているわたしに「そんなに綺麗にしていくのかよ」と文句をたれた。 ライブから帰宅したわたしはよほどキラキラしていたのだろう。 夫がわたしの顔をみて、うろたえていた。
 数日して、夫はわたしを幾度も平手打ち→ 馬乗りになってわたしの首を絞めた。
 可哀想な人だと思ってこらえてきたけど。誰かに言うのは「ちくり。卑怯」だと思って我慢したけれど。 こっちが可哀想になっちゃった。とんだ間違い。


 こうして書くことで、記憶の整理をできたら。
 もしもいま。誰かにいじめられたり、理不尽なことをされたり、虐待されたり暴力をふるわれている人がいるなら、勇気をもって 逃げてほしい。殺されないでほしい。 S・O・Sをだすのは恥ずかしいことではない。 相手はあなたの命を何とも思っていない。殴ることができるなら、それはべつにあなたじゃなくても、誰でもいいのだろう。相手はもうニンゲンではない。 相手は可哀想ではない。 あなたはひとつもわるくない。だからどうか逃げて。
 暴言・暴力の元夫、父や友人やその昔の人たちとは大違い。父も友人も他の誰でも、わたしに手をあげたこともなければ、怒鳴ったこともない。天と地、月とスッポン、大仏さまとゴミクズ。や、それでフツウか。あれは人間ではない。 邪念はらいたまへ。 悪霊退散。

 「認めねえ」ってなんだろうな。 意味わかんない。男ってそういうものですか?? みんなそうなの?
 あとから思うに。夫は。 『自分以外の男があいつを喜ばせるなんて、幸福にするなんて』、許せなかったのだろう。到底かなわないから、キレたのだろう。小さい男。 じゃあ、死ぬほど努力して、己を磨いて、一ミリでも改善したらよかったじゃない。自分だけのいいところで勝負したらいいじゃん。 何なら死ね。 そんな人には用はない。

 

9.17(月曜、夜)
・ 暴力の記録 2008年4月、9月。 /めまい
https://namosiranu-kusani.hatenablog.com/entry/2018/09/17/194256

 

 2008年、2.29 より。
 「 2.29(金曜)
 ボールペンが書きやすかった。といって字がうまくなったわけではなく。書きやすくて、ただ気持ちよかった。 そこでは内装、設備のつつましさ(必要なものはきちんと揃っている)に新鮮な感じを受けた。お金をかけてピカピカに整った銀行のあとだから余計に。 そっけないというか、あのさびれた感じがいい。さらにいうと片隅に薄暗い水槽があったら。「何がいるんだろう」と近づいたら地味なタナゴだったり、鯉?と思ってしまうような妙に大きな金魚だったりしたら、もっといい。

 そして水槽の隅っこにはタニシが這っていてほしい。 タニシはきっと水槽のなかで『先生』『タニ爺』と呼ばれ尊敬されている。何百年も生きていて、この世のすべてを知っている。すべてを知っているから目をつむり、何も語らない。 ときおり思い出したように口をもにょもにょと動かす。皆はハッと注目して耳をすませる、タニ爺が何か大切なことを言うのではないかと。でも、もにょもにょは単なるもにょもにょで、しかも、よく見るとタニ爺は眠っていたりするのだった。 タニ爺はうたた寝に飽きると、水槽の向こうの小さな人間界に「ごくろうさん」というように髭をそよがせ、無限の世界を気ままにゆっくりゆっくり散歩するのだ。散歩しながら考え事をしたりうたた寝をしたり、うたた寝をしながら散歩したりもできるのだ。すごいのだ。 タニ爺はひとりの世界を愛しているけれど、小さな子供が水槽におでこをくっつけて「わぁー、タニシだ!」と言ったら、ふっと微笑んでみせるのだ。すると子供は「わー、キモチワルイ」と行ってしまう。 せちがらいのだ。

 29日、晴れ。午前中。ベランダに洗濯物を干して、ひとつだけの植木鉢を眺める。今あるのは桑の木、タネツケバナハコベ、ミコシガヤ、スミレ、ムスカリ。床に正座するような格好でひとつひとつ、よーく眺める。タネツケバナだけがとても元気で、あとはいまひとつ。季節がまだなのか。 数日前はタネツケバナの葉にアブラムシを見つけた。今日もいる。このアブラムシを求めててんとう虫が来てくれるかも。

 ホームセンターのチラシを置いて、ベランダに出る。メジャーを持ってきて窓の高さを測る。 230cm。 どこかでキジバトが鳴いている。植木鉢を眺める。さっきと同じようにひざまづいて。草と草のあいだの土を見つめる。例年ならとっくに出ているはず。今年はない。ないはずだ。 今ある草を見つめる。小さなひとつひとつを気のすむまで見つめる。 キジバトが鳴いている。遠くはないところで、ぽーぽーと鳴いている。わたしのすきな声で。
 今日は日なたを避けていたけれど、手指に紫外線アレルギーの反応が出た。そろそろ気をつけないと。 」

 

 2008年 「4.15(火曜)
 朝、後頭部の奥に鈍い痛み。もしかしてあのときの……髪を掴まれ頭を何度か壁に打ち付けられた際のだろうか。いや、それほど強くではなかったし。きっとただの頭痛。
 あれから一週間近く経った。 上唇の内側がサックリと切れ、翌日は温かい飲み物がしみた。
 翌々日に友達と食事したときは割り箸が触れるだけで痛みが走り、お寿司のガリに涙ぐんだ。昨日あたりからようやくまともに食べられるようになった。口の中は治りが早い。 腕のあざは。なぜだろう、日に日に濃くなる。お医者さんは十日くらい残りますと言ったけれど、これはもう少しかかりそう。しばらくこちらの腕で無理をしてはいけませんよと言われたのに、つい買物を重くしてしまう。 」

 

 

 いつかの呟き、よぎる。 「・瓦礫のなか、光る。 /  そしてそれは いまじゃないかって おもったの 」