名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・妹のこと、両親のこと /親に紹介 /男は自慢? /父が認める

 二十年くらい前のこと。妹が家出してわたしのもとに逃げてきたことがある。
 なんでも、父から「保険かけて殺してやろうか」と言われたという。いくら酒に酔っていたからといって、どういうつもりだろう。実の父だからってあるまじき言葉だ。しかも、母まで一緒になって妹のことを責め立てたという。おとなしくて無抵抗の妹に、なんてひどいことを。 妹は非常時に備えて自分の部屋に靴を用意していたので、その夜は鞄に身の回り品をつめこんでベランダ側の窓から脱出してきたという。
 その日から三か月のあいだ、妹をうちで預かった。いたたまれない思いをした妹をなんとかしてあげたくて。 妹にもチャット(ネット上のおしゃべりの部屋)を教えてあげたら妹はそこで癒し系の人気者になり、彼氏もできた。妹が彼氏とデートの時はわたしのスカートを貸してあげたりして全面的に応援した(妹とわたしの服のサイズは同じ)。
 あるときその彼氏がわたしに悩みを打ち明けてきた。彼氏は1日に10回以上メールを送るのに、妹の返事は1日一回で、びっくりするような長文で返ってくるという。彼氏は妹からもっとこまめにメールを欲しい、寂しい、という話だった。彼氏のL君は超ハンサムで、ジョン・レノンヒュー・グラントかといった感じ。とにかく妹にメロメロだった様子。L君が車でうちに妹を迎えにきたときも、身支度の遅い妹を一時間でも二時間でも口笛を吹きながら上機嫌で待っていてくれた。L君はいつも車で2時間もかけて妹に会いに来て、また2時間かけて帰っていくのだった。 L君は女性と付き合うのは初めてで、妹のことを友達にも自慢したかったらしく、ドライブの途中で友達に「ばったり」遭遇して、『よう、こんなところで奇遇だね☆』なんて挨拶を交わし、そのとき助手席にいた妹は『それが、ものすごくワザとらしかったの(笑)』と可笑しそうに報告してくれて、妹とわたしで「絶対、友達と示しあってたのよ」「あーやっぱり?(笑)」とお腹がいたくなるくらい笑い合ってしまった。L君は妹のことがよほど自慢だったのだろう。そして「男って、可愛いわね。」という結論に達した。


 けれど、妹が実家に戻ってから事件があった。酔った父が妹の携帯から彼氏に電話をかけて「貴様はどこのどいつだ!? ぶっ殺してやるから首を洗って待ってろ!」と暴言を吐いたらしい。彼氏は「なんか知らない男の人から電話がかかってきたけど……」と戸惑っていたそう。 堂々と付き合うために、両親に彼氏を紹介しようと思った妹は彼氏に「いっぺんうちに来て、親に会ってくれない?」と言ってみたところ、彼氏はすっかりビビッてしまい、「まだそんなつもりはないから……ごめんね。」と答え、妹は「ガーーン。」となってその場でサヨナラしてしまったらしい。付き合ってまだ2ヶ月だから、彼氏はそこまでの覚悟ができていなかったのかも。 最後のデート帰りにうちに来た妹に「〇〇ちゃんがこんなときにアレだけど。今夜オフ会があるんだけど、〇〇ちゃん良かったら行かな、」「行くっ!!」と即座に答えた妹は彼氏にもらったという花束をバサッと投げ捨てて元気よくお菓子を食べ始めた。あっぱれな妹だ。 そうそう、次いこう、次。
 その後も妹はモテていて、すぐに新しい彼氏ができた。その彼氏がまた善良でジェントルであっさりした人で、3か月たっても清いお付き合いだったという。手をつないでみたいけど、恥ずかしいし、アトピーのこんな手じゃ気持ち悪がられちゃうかも……と思い悩む乙女心な妹を、「だいじょうぶ、〇〇坊はそんなこと気にしないって」と励まして、心から応援していた。 しかし、両親から「彼氏いるのか、どんな奴なんだ!?」と迫られた妹が、彼氏に「親に会って」と提案したところ、その彼氏も「まだそんなつもりじゃ……」と引いてしまった。

 異様に厳しい両親のせいで、妹の淡い恋愛はことごとくこわれてしまった。許しがたい。どうしてそっと見守ってあげないの、と思う。 実家の父は亡くなり、今は母だけ。これで妹もいくらかは自由になれるかな、どうかな……。 昨年末に会ったとき、妹はポン、ポンとすぐに返事を返してきて(今までは、早くて数十秒、遅いときは数分かかっていた)、儚げに美しくていつもどこか憂いをおびた感じだったのが表情も明るくにこやかになっていて、わたしはひそかに驚いた。

 母の束縛はすごくて、わたしが中学生になると異様に厳しくなり、たとえば家に無言電話があると「オマエの彼氏だろ!」、バイト先の男子から業務連絡の電話がかかってきたときも「怪しい!彼氏だろ!」とわたしに詰め寄ってきたりした。
 あぁ、思い出した。中3の冬、わたしにボーイフレンドができた。相手は高校3年生で180センチと背が高くて男子校の野球部の人だった。銭湯の帰り道で、スクーターのその人から道を尋ねられたのがきっかけ。そこはお寺の前で、すぐ後ろには墓石が並んで卒塔婆が夜風にカタカタ揺れていて、ひとつもロマンチックではなかった。 わたしはお兄さんみたいな友達ができたと嬉しかったけれど、彼はわたしのことを「〇〇さん」と「さん」づけで呼び、原宿でハート型のイヤリングを買ってくれたりして、もしかして大人の女性のように思っているらしくて、わたしは戸惑いをおぼえた。
 けれど、初デートの現場を母に目撃されてしまった。 初めてのデートの帰り、彼の自転車の後ろに乗せられて近所のバス停まで送ってもらい、つぎの約束をしたりして立ち話していたら、一本内側の道に仕事帰りらしき母が現れた。よりによってこのタイミング、絶体絶命。 母はわたしたちの姿をみつけると、ササッと角の駐車場のフェンスに身を隠した。こちらをうかがっている母の表情は『家政婦は見た』の市原悦子ムンクの『叫び』のようだった。わたしは彼に小声で「母が見てる。知らない人のフリして!」と言って、大きな声で「じゃあ、そこをまっすぐですから。」と道を尋ねてきた人に道を教えているフリをした。 母はというと、こちらをうかがいながら、フェンスに隠れているつもりのようだけど、体の9割ははみ出している。こちらから思いっきり見えている。『お母さん、見えてるよ。丸見えだってば……』と可笑しいやら呆れるやらで。 彼が電話をかけてくる際の合図も大変だし、もうあんなことはコリゴリだと思い、そのBFとはサヨナラした。でも、デートなのにジャッキー・チェンについて熱く語るわたしの話を面白そうにウンウンと聞いてくれたりして、いい人だった。

 幼いころから母はわたしを目の敵のように扱っていた。ことあるごとに母は「出ていけ!」と怒鳴りつけてきて、わたしは一刻も早くここから出ていきたいと思っていた。(当時の電話は一家に一台)20歳のとき、彼と自由に連絡をとりたいという理由もあって独り暮らしをはじめた。 お互いのためにも。あの人とは距離をおいて付き合うのがいい。今は友好的に話すことができる。

 L君が友達に妹を会わせたエピソードで思い出す。友人と知り合ってまもなく、友人が仕事で実家の方へ寄るから、一緒に来ないかと誘われてついていった。まず地元のガソリンスタンドへ寄ってスタンドの人たちに「△△、彼女できたんか!よかったなぁ」と言われた。友人の実家へ着くと、表で飼い犬のロッキーが静かに迎えてくれ、友人の部屋では飼い猫のミャーが待っていた。リビングへ行くと友人の妹がケーキを用意していてくれて和やかな歓談となった。友人の家族と一緒に夕飯となり、お母さんの配膳を手伝う。テレビを見ながら、ふだんは超無口だというお父さんが「スマップはいいねぇ」と話しかけてきて、わたしはそのとき初めてスマップを知った。お母さんはわたしのどこを気に入ったのか「何も持たなくていいから、〇〇ちゃん、体ひとつでいいから、ヨメにおいで。」と言ってくれる。翌日の夜は鉄板焼きで、ホットプレートの右手の友人からピーマンがわたしのところへ、左手の妹からはシイタケが来て、どちらもわたしの好物なので『なんて親切な兄妹だろう』と感激した。あとで分かったけれど、友人はピーマンが嫌いで妹さんはシイタケが駄目だったそう。 着いた翌日に近所のおじいちゃん宅を訪れて、友人のおじいちゃんとおばあちゃんに挨拶した。おじいちゃんはジョーカーという茶色の細長い、葉巻の香りのする紙巻たばこを吸っていて、声がすごい重低音でボスのオーラがびしびしと漂っていた。おばあちゃんは一人で話し続ける人で薄紫色の眼鏡と紫色の髪がオシャレな人。 初日には友人の同僚たちにも紹介されて、緊張した。
 友人が家族や周りの人たちに紹介してくれたので、こちらもフェアにいこうと思い、両親に伝えた。「紹介したい人がいるの。ちょっと大きい人だから、部屋を片付けておいてね」と告げたら、「お相撲さんだ。〇〇がお相撲さん連れてくるよ!」とわたしの実家では大騒ぎになったらしい。 こういう人と付き合ってるから安心してね、というような軽い意味だったのに。当日、友人を連れて実家へ行くと、食卓にこれでもかというご馳走が並んでいて、特上寿司までとってあって、『いったい何のお祭りよ?!』と呆れてしまった。両親の知るかぎり、彼氏いない歴24年のわたしが男の人をつれてくる、ということで両親は嬉しかったのだろう。 「△△君、うちの娘とは……、」と父がおごそかに尋ねると、友人が「一目惚れでしたっ!」と答えて、家族一同「おぉっ!」となった。父は友人を一目で気に入ったらしく、「あれはいい男だ。あれなら間違いない(^▽^*)」と勝手にお墨付きをくれた。
 友人と暮らしていたとき、友人の同僚たちとの飲み会や食事になぜかわたしも飛び入り参加させられて、歓迎されたのは友達の少ないわたしにはありがたかったけれど。
 そのうち、わたしがバイトから帰宅すると友人の見知らぬ同僚がリビングでテレビゲームをしながら「おかえりなさい☆」なんていうから「はじめまして、△△がいつもお世話になっています」と答えた。そんなことが何回も立て続けにあり、しまいには一週間に3回も。みんなわたしをみると「なるほどね。」と言って帰っていった。なるほどって何が?? 人見知りなわたしには苦痛だった。そしてついにわたしは、いいかげんにしてよう!と同僚さんのまえでキレてしまった。「〇〇ちゃんはコワイ」と思われたのか、それからは『未知との遭遇』は少なくなった。 のちに友人が打ち明けてくれたけれど、ただ自慢したかったのだという。自慢できるようなものじゃなくても、男は自分のものを自慢したいのらしい。
 くだらない話でごめんなさい。


 子供の頃、こたつの天板を裏返して家族でトランプのポーカーをしながら「ほんとのポーカーだとね、イカサマがバレると、即座に『バン!』って撃たれちゃうんだよ。」と父は手をピストルの形にして物騒なことを教えてくれた。ほんとのポーカーなんていつどこでしたの?? 父ったら西部劇かゴッドファーザーの観過ぎよ、と思った。 ちなみにわたしの好きな手はロイヤル・ストレート・フラッシュ。
 それから、家族でテレビを見ているとき、父のまえで他の男をほめてはいけなかった。
 つねに文句たれの父だけど、みずから誰かをほめることもあった。沢田研二が歌うと「ジュリーはカッコイイよなぁ。」と呟き、ドリフの志村けんのことを「志村は面白いな」とリスペクトしていた模様。 歌番組に安全地帯が登場したときは「あぁ、井上陽水の弟子だろう? お、歌うまいなぁ、うーん……」と聴き入っていた。安全地帯を認めてくれたらしく、わたしはうれしかった。

 


Jamiroquai - Runaway (Video)

 

EPO 音楽のような風