名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・駅の子 /人とぶつかったとき /鏡がこわい /髪といえば /わすれない。

 29日の深夜1時から、NHKスペシャル「【駅の子】の闘い/語り始めた戦争孤児」の再放送がある。 とりあえず録画予約しておいた。このまえの放送ではチラッとしか見ていないので、今度はしっかりと見たい。

 木曜のラジオで(ベイFM「it」)。 人とぶつかったときに何て言いますか?という話題になって。
ピカ子さんは「わたしはね、『失礼しました!』って言うようにしてるの。『ごめんなさい』だと失礼な気がするから」と言っていた。
わたしはどうだったかなぁ。とっさのときは「あ、ごめんなさい」で、たまに「すみません」かな。うーん。すれ違いざまにぶつかったとき、ほとんどの人は無言で過ぎていくから、一言あるだけで「おぉっ」と感動しちゃう。
ときどき、おばさんやおばあちゃんに「あらっ、ごめんなさいねぇ(^▽^*)」なんて言われるとうれしくなって、そのあと一日中いい気分で過ごせる。
 どんな言い方でも、ピカ子さんならきっとあの心根の良さが伝わるだろうから、そんなに考えなくても大丈夫だと思う。

 きのうもクリント・イーストウッドの映画「アウトロー」を観て、インディアンの言葉にシビれた。「書類のサインなどに真実はない。 テンベアーズの言葉には生と死をかけた真実がある。それが分かるおまえとなら、刺し違えてもよい。」


 インディアンといえば。子供の頃、テレビでインディアンとか黒人の人が映ると、母がきまって「ほら、あんただよ!インディアンにそっくりだ、黒んぼ!土人!インド人!」といってからかってきた。 黒人のどこがいけないのか分からないけど、母がそれを馬鹿にしてるということは分かった。どうしてそんなにひどい事を言われなければいけないんだろう?と悔しくてわたしが泣きだすと母はいっそう大喜びして「なにその泣き顔!あ~ブサイク、よけいにブサイクだ(笑)」「なにその目!親をにらむなんて恐ろしい子だよ!あ~怖い怖い!」と笑うのでわたしは悔し涙がとまらなかった。二重のわたしが泣くと翌日はまぶたが二段に腫れあがり、学校の友達に「おはよう」というと皆わたしの目を見てびっくりした様子だったけれど彼女たちは優しくて、何も訊かずに、いつもどおり接してくれた。
 小学校のときは苗字のことでからかってくる男子が二人くらいいたけれど、母からひどい事を言われ慣れていたので、そのくらいヘッチャラで「うるさいわね。」と相手にしなかった。 いつもアミーゴ(どこかの国の言葉で【ともだち】という意味)がついていてくれたので学校は楽しかった。 クラス替えをしても、初めの数分ですぐに新しい友達ができた。お互い目と目が合って、「あ、この子と友達になれそう、仲良くなりたいな♪」と思うと、向こうもそう思ったらしく、その予感が本当になって、その子と親友になったりしていた。
 ただ、母のおかげでわたしは物心ついてから今までずっと自分をブスだと思っている。鏡がこわい。

 このごろ、出かけるときは髪を高く結って出かける。ちょっとは涼しくなるかと思って。
 髪といえば、小学校5、6年の頃も長い髪だった。胸までの長さで、耳の後ろで二つに結んでいた。 他の女子たちはそこまで長くなくて、休み時間になると女子が代わる代わる来て「三つ編みさせて~☆」といってわたしの髪をほどいて三つ編みをしていった。
 そういえば隣の席の男子Y君(何べん席替えしてもなぜか隣り)。「〇〇〇〇。」とわたしの名前を呼ぶので「なに?」と振り向くと「ただ呼んでみただけ~(笑)」とか、二つに結った髪の片方をいきなりキュッと引っ張るので「??」とみると「公衆便所、ジャーッ!(笑)」といってもう一度引っ張ったりとか、音楽の授業中に(机を後ろに片付けてイスだけ並べたスタイル)、わたしの後ろにきてわたしのイスの背もたれをつかんで後ろにガッタンガッタン引き倒して怖がらせようとしたり(「やめてよう!」と言ったけどシツコイ)、何かとちょっかいを出してきてメンドクサイ奴だった。ある日の放課後、クラス全員が参加して2チームに分かれて「ドロけい(泥棒と刑事)」をしたとき、ドロボーのY君がぼさっとしているので刑事のわたしが「捕まえた♪」といって腕をつかんだらY君は「離せようっ!」と耳まで真っ赤にしてわたしの手を振り払って逃走していった。「そんなに嫌いなのか(@_@) まぁ別にいいけど。」と呆れてしまった思い出がある。 Y君は男三兄弟の次男坊だったから、長い髪が珍しかったのかも。
 Y君とは中学3年のときにまた同じクラスになった。子ザルのようにチビだったY君は野球部に入って見違えるように背が伸びてあのオシャベリがすっかり無口になった(声変わりもしたのかな?)。 鎌倉に遠足したとき、Y君と同じ班のわたしたちは山道に迷い込んでしまい、崖みたいな急斜面を降りなくてはいけなくなって、先に降りた男子たちが「ほら、リュック持っててやるから。そこの木につかまって……気をつけて降りてこい。」といって助けてくれて、『あのイタズラ坊主がずいぶんオトナになったものね(@_@)』と驚いたのだった。

 色が黒いというだけで、母からはずいぶんなことを言われ続けたけど。 あるとき父が「小麦色だね、健康的だね♪」とほめてくれた。「そっかぁ、健康的なんだ。」と嬉しくなって、それからは色黒もコンプレックスではなくなり、自分の黒い肌を好きになった。 父がわたしを叱ったことは一度もない。何をしてもホメてくれた。絵を描けばほめてくれたし、運動会の徒競走で5着だったときも「よくやった。がんばったね♪」とほめてくれて、さすがにそのときは「や、がんばってないから。(苦笑)」と可笑しかった。
昔話でごめんなさい。


 田辺聖子の本にこんな言葉があった。
・子供の頃に愛された記憶は大切だ。大人になってツライ事があったとき、愛された記憶が支えとなるだろうから。
・人は、自分が愛したもののことは忘れても、自分を愛してくれた人のことは忘れない。