名も知らぬ草に blog

管理人:草(そう)

・昭和21年1月、東京郊外

 

 

あけて昭和21年1月 君子12歳

とうとうわたしたちは動けなくなった
妹と弟とおりかさなるようにして倒れこんだきり
コンクリの床が湿っぽく冷たい
いよいよ父と母がお迎えにくるんだ
意識が遠のいていく


夢の中で誰かがわたしを背負って歩いている
ガタンゴトン 電車の揺れ
耳の奥に おおもり、大森 というアナウンスが聞こえていた

はっと目を覚ますと布団の上
見回すと妹と弟がすぐ横で眠っている
ふすまがすーっと開いて
「起きたのかい、」と知らないおばあさん
きのうの朝、おじいさんがここへ連れてきたんだよ。
あなたたち丸二日眠っていたのよ。という

夕方 温かいお風呂をすすめられて
耳の裏まで洗うのよ、とおばあさん
お風呂から上がると
おばあさんが台所でゴリゴリと胡麻をすっていた
あぁいい匂い 懐かしい匂い

食卓にはたくさんのごちそうが並べられていた
お茶碗に山盛りの麦ごはん 大根のお味噌汁 ほうれんそうのごま和え 
大根と里芋と鶏肉の煮物 玉子焼き のりの佃煮 カブのぬか漬け
「ほうれんそうと大根はうちの畑でとれたのよ。
鶏はね、今朝うちのニワトリをつぶしたんだよ」
お箸をとるのをためらっていたら
「子供は遠慮しちゃだめよ!さぁおあがんなさい。」

煮物の大根はほろほろとやわらかくて
玉子焼きにはお砂糖が入っているらしく とても甘い
玉子なんて何年ぶりだろう 甘くて美味しい
「お腹いっぱい食べなさい、ほら、おかわりは?」
わたしたちはもう夢中で
おなかがはちきれそうなくらい食べた

おじいさんは建造 おばあさんは文子というのらしい
おじいさんは無口で自分からはあまりしゃべらない
大工を引退して小さな畑を耕すようになったらしい
おばあさんは歌を歌うようにしてよくしゃべる
おばあさんはご飯の匂いがして おじいさんは蜜蝋のような甘い匂いがする
子供はいなくて ずっと二人きりで暮らしてきたという

文子さんは弟のすり切れたスボンをアップリケで繕ってくれた
穴だらけのセーターをほどいた毛糸に新しい毛糸を足して
わたしにココア色のセーターを編んでくれた
妹には赤いセーター 弟には黒いセーター
ちくちくしないようにと 肌にふれる首元と袖口にガーゼが縫い付けてあった

これからは建造さんを「おとうさん」、文子さんを「おかあさん」と呼びなさい と言いながら
わたしたちの髪をきれいに切り揃えてくれた
「あなたちさえよければ、ずうっと居てちょうだい」
「にぎやかになっていい。」ポツリと建造さん
どうしてこんなに良くしてくれるんですか?と尋ねると文子さんは
「ただのおせっかいよ。あっはっは」といって笑った


ニワトリのえさやりと卵をとってくるのは弟の仕事
妹はお風呂そうじと玄関そうじ
わたしはおとうさんの畑仕事を手伝ったり
おかあさんの台所を手伝ったりしはじめた(大根の皮むきや、井戸水でほうれんそうを洗うとか、
ヤミ市で売り切れなかった野菜をご近所におすそわけでもっていくとか)

朝 昼 夜、とお腹いっぱいご飯をたべる
あばら骨の浮いていた弟は今ではふっくらとしてきて
青白い顔だった妹のほっぺに赤みがさしてきた

春になってきょうだいで海岸まででかける
学校裏の踏切は危ないから気を付けて渡るのよ、とおかあさん
波打ち際で みつけた、ここにもある、ときれいな貝殻をひろう
家に帰るとおかあさんが
しじみの貝殻をちりめんの端切れでくるんで縫い合わせ 可愛い根付けをつくってくれた


夜はときどき 空襲の夢を見て飛び起きる
汗びっしょりの背中をおかあさんがトントンしてくれて
「ここは安全だし、あなたたちはもう、守られてるのよ。安心しておやすみなさい。」という
家の裏の大きなクスノキがサワサワサワと鳴って
それをききながら また眠りに落ちるのだった

弟はおとうさんに電車の乗車券を買ってもらうと
一人で山手線に乗ってぐるぐると何周もしてくるようになった
景色が変わって面白いんだ、という
妹はおかあさんの5段もあるひな人形をいつまでも飽きずに眺めている
わたしはおかあさんに蒸しパンを教わる
ラム酒に漬けた干し葡萄をまぜこんだ蒸しパン
「女学校で習ったのよ」と誇らしげなおかあさん


昭和21年4月
妹と弟は小学校に通い始め わたしは中学校に入学した
おとうさんがヤミ市で野菜を売ってつくったお金で
わたしのセーラー服と革靴と鞄、それに真新しい教科書も用意してくれた

妹と弟は学校が楽しいらしく 夕飯のときはそんな話ばかり
わたしは中学ですぐにお友達ができて
土曜日の帰り道 みんなとタイ焼きを食べたりして笑い合う
きょうも誘われているけど ごめんなさい、
きょうはおかあさんが焼きリンゴをつくってくれるの